そんな関係もあって、静岡河川事務所を皮切りに中部地方整備局に何度も問い合わせ、親切丁寧にいろいろ教えてもらった。そして、ある案件に関しては静岡県知事が絶対無比の河川法の許可権限を持っていることを突き止め、2018年11月7日にそのことを記事にした。
当然、JR東海は承知していた。新聞報道されたJR東海幹部の発言は、単なる“脅し”に過ぎなかった。
東海道新幹線は、大井川の真上に架かる鉄橋を渡る。この鉄橋のように、河川区域内の土地を占用、工作物を建設する場合、河川法の許可が必要となる。
南アルプスリニアトンネルの場合、地下約400メートルもの地中で大井川を通過する。河川の上ではなく、河川の地下400メートルのトンネルで河川法の許可が必要かどうか。
2001年施行の「大深度地下法」は、地下40メートル以深の工事ならば補償等が不要となり、スムーズにトンネル工事などが行えるようになった。その十倍に当たる地下約四百メートルである。初の事例となるだけに、国交省は判断に迷ったのかもしれない。
国交省は地下四百メートルの大深度トンネルでも河川管理者の許可が必要と判断した。つまり、知事の許可がなければ、リニアトンネルは建設できないのだ。
河川法の審査基準には、「治水上または利水上の支障を生じないものでなければならない」と記されているから、知事は「利水上の支障」が生じるとして河川法の占用許可を認めないことが可能なのだ。
11月7日付記事のあと、19日に行われた知事の定例会見で、初めて河川法について記者からの質問があり、川勝知事が河川法の許可権限について認識していることが明らかになった。県幹部によれば、「静岡経済新聞」を読んで、初めてリニア担当者らが認識したのだ、という。
初めは応援していたが……
このようにして、わたしなりに“知事応援団”の役割を十分に果たしてきたつもりだった。
ところが、肝心の知事にはリニア問題を解決の方向に導き、静岡県の地域振興へつなげる姿勢が全く見られなくなる。強大な知事権限を認識したのか、取材から二年経つと、知事はリニア反対で論陣を張るのがはっきりと分かった。
2020年9月25日の県議会代表質問で、「(リニア問題で)広く国論を巻き起こす」と宣言、10月9日発行の雑誌『中央公論』には迂回ルートなどを求める挑発的な論文「国策リニア計画にもの申す」を発表。市民団体らが静岡地裁に提起した「リニア静岡工区の工事差止訴訟」について、知事は「これで県民全体の運動となった」 「一歩も引くな」 「しっかり頑張れ」などと反リニアの姿勢を明確にした。
許可権限を持つ川勝知事の強硬な姿勢で事態は一変したが、静岡県がどこまでも「反対」では、山梨、長野など中央沿線の人々の期待を裏切ることになる。
国の有識者会議でも、中下流域の地下水への影響はほぼないことを明らかにしている。水環境問題での知事の主張はいつまでも通らない。ただの反対運動になってしまった。
国、JR東海と対話を進め、静岡県のメリットを引き出すことが知事の最も重要な役割である。知事がどこまで静岡県の発展を念頭に交渉できるかどうかだが、知事周辺はイエスマンの取り巻きばかりだから、誰も知事に理非曲直をただす者はいない。
「川勝劇場」は、県民のためというより、とにかく主役の知事本人が目立てばいい、メディアが大きく取り上げてくれることが何よりも大事なようだ。
“川勝激情”のスイッチがどのように入るのか分からないが、菅首相批判と同様に、事実関係を全く無視して相手を一方的に攻撃することが多い。事情を知らない人から見れば、“権力者”を徹底的にたたく痛快事に映るから、「川勝劇場」ファンは増えたかもしれない。“命の水”を守ると言う知事の曖昧な主張をそのままに受け入れる県民は非常に多い。
10月27日の会見で、川勝知事は「わたしは知事になって10年間以上、政務をしていない。行政にかかわる仕事をしてきた」などと公言した。わたしは、この発言に暗澹たる思いにさせられた。
「政務」とは、永田町(自民党本部)、霞が関(官庁街)などとの強いパイプを持ち、国の力を借りて地域の発展のために尽力することであり、各都道府県知事の大きな役割のひとつである。
川勝知事は、肝心の「政務」を全くしていないのだという。県の財源は限られた地方税や交付税などだが、これでは最低限の事業しかできない。つまり、静岡県が抱えるさまざまな諸課題を放っておくという宣言に等しい。
川勝知事は来夏の知事選に出馬するつもりのようだが、もし4期目の当選を果たせば「川勝劇場」は続き、リニア問題解決には絶望的な状況が続くだろう。
過去の「川勝劇場」を、私が編集長を務めるニュースサイト「静岡経済新聞」で詳細に報じている。ご興味の向きはぜひお読みいただきたい。
「静岡経済新聞」編集長。1954年静岡県生まれ。1978年早稲田大学政治経済学部卒業後、静岡新聞社入社。政治部、文化部記者などを経て、2008年退社。現在、久能山東照宮博物館副館長、雑誌『静岡人』編集長。著作に『静岡県で大往生しよう』(静岡新聞社)、『家康、真骨頂、狸おやじのすすめ』(平凡社)などがある。