彼らも私たちも「日常」を生きている
本書の成果は学問的には「民衆史」「日常史」の範疇にある。これまで民衆は「国や王に対立するもの」としてや、「歴史を主体的に作り上げていく民」としての視点から考察されることが多かった。
だがそれゆえに、本書が拾い上げたような占い、排泄、ハゲ、酒の席、風呂などの「ただただ『生』のありようそのものを語る」材料は軽視されがちだったという。
だが筆者の柿沼氏が指摘する通り、今の私たちが「毎日毎日、何らかの歴史に残る事件にかかわるわけでもなく、ただ昨日とさほど変わらない日常を生きている」ことがほとんどであるように、過去の人々もまた「日常」を生きていたのだ。
そして本を読んで、こう思うはずである。「今生きている私たちの生活、発言、行動も、何らかの形で歴史として残っていくのだ」と。
今から2000年後、「令和日本人の24時間」を書こうと思ったら、新聞、雑誌、ネットニュースだけでなく、個人のツイッターやfacebookの記述まで、ありとあらゆる材料が存在することになる。
後世の歴史家が「令和日本」をどうまとめ上げるか、その成果を見ることは不可能だが、そんな「過去から未来まで、歴史を流れとしてみる視点」さえ、本書で養えるのだ。これこそ歴史を楽しみ、歴史を生きる醍醐味ではないだろうか。
先人たちの営みに感謝
ちなみに、本書の第8章「農作業の風景――午後一時頃」には、この書評欄の連載タイトル「読書亡羊」のもとになったと思しき故事が引用されている。
もちろんもれなく注釈がついているので、出典元が『荘子』外篇駢拇篇であることも知り得た。知ったとたんに何やら高尚なタイトルに見えてくるから不思議だ。
読書にかまけてヒツジ番の仕事をさぼって怒られた、古代中国の名もなき人物。名は残らなくとも、その営みはこうして伝わったことになる。
そして当欄筆者もヒツジこそ逃がさないながら、読書にかまけてこの連載原稿を書き始めなければ、やはり編集長から怒られることになっただろう。
先人たちの「営み」に感謝するばかりなのだ。
ライター・編集者。1980年埼玉県生まれ。月刊『WiLL』、月刊『Hanada』編集部を経てフリー。雑誌、ウェブでインタビュー記事などの取材・執筆のほか、書籍の編集・構成などを手掛ける。