無風だった自民党と「立憲共産党」の敗北|和田政宗

無風だった自民党と「立憲共産党」の敗北|和田政宗

「単独過半数ギリギリ」「自民党大敗」という情勢調査が報道されたが、結果は261議席と各メディアの獲得議席予測を大幅に上回る結果となった。だが実際は、負けに近い選挙であった――。自民党が苦戦した理由はいったいどこにあったのか。「立憲共産党」が議席を減らした背景にはいったいなにがあったのか。「本音」で語れる政治家、和田政宗参議院議員が事の本質に迫る!


国民に届かなかった「岸田ビジョン」

Getty logo

自民党岸田政権が衆院総選挙を何とか乗り切った。当初、自民党の議席は改選過半数の233議席が難しいとの世論調査の状況であったので、自民党が勝利したかのような錯覚に陥いるが、261議席は改選前議席から15議席減らしており、過去3回の衆院選獲得議席が284(平成29年)、291(平成26年)、294(平成24年)と300議席に迫る勢いであったことから考えると、負けに近い選挙であったと真摯に受け止めなくてはならない。また、そういった受け止めができなければ、来年の参院選でも同様の厳しい結果になりかねない。

この結果は、岸田新内閣が発足して内閣支持率が40・3%(時事通信)となった時から危惧されていたことであった。菅義偉前総理による、「自民党を勝たせるためには私が総理をやめて総選挙は新総裁に託し、自らは新型コロナ対策に専念する」との決断は、新型コロナ感染抑制に見事成功したが、その流れを岸田政権がうまくつかめるかが重要だった。

しかし、発足直後の支持率が芳しくなく、その後の世論調査でも支持率は下降した。岸田総理誕生直後の組閣と党人事が国民の期待感につながらなかったからである。総理総裁の専権事項なので、どの人事がどうというのは僭越であるので述べないが、国民はもっと岸田新政権の清新さに期待していた。しかし、国民の期待ほどの人事にならなかった。

そして、衆院選の苦戦の原因として挙げなくてはならないのは、選挙戦全体を通じて、「岸田政権は具体的に何をするのか?」という質問を多くいただいたことである。これは、岸田政権の政策が国民に響いていない、しっかり届いていないということを表している。岸田政権の「新しい資本主義」は、所得と分配の好循環であり、分厚い中間層の構築であり、非正規・子育て世帯など新型コロナで苦しんでいる方には給付を行うと、私が街頭演説や集会で解説すると、「そうだったのか。わかりやすく伝えてよ」という声をあちこちでいただいた。こうしたことにより、選挙終盤戦まで世論は自民党候補に積極的に投票しようという動きにはなっていなかった。

さらに、過去3回の選挙の追い風と比べ全く風が吹かなかったことは、自民党各候補にとっての厳しさとなった。これまでは追い風によって、第三極的な戦い方、すなわち駅頭で街頭演説をしていれば党の人気で当選してしまったという戦い方でも勝てた候補がいる。これのみで当選してきたということでは決してないが、追い風によって積み増されていた部分を分析し、その部分が削られても当選できるという地道な活動をすることが重要であった。この点において盤石でなかった候補が敗れたのだと思うし、本当に終盤戦までは獲得議席が220台になるのではという厳しい戦いであった。

「批判政党」には投票しなかった

では、これをどう跳ね返したのか。それは、世論調査の厳しい状況を各候補が深刻に受け止め、必死に活動をし、自民党支持者がしっかりと投票してくれたことによると分析できる。出口調査の結果を見ると、50代より下の年代が確実に自民党を支持し投票してくださっていた。メディアにより自民党大敗の可能性が報じられるなか、それはさせてはならないと投票所に足を運んだのである。これは過去3回、メディアが選挙戦中盤において「自民圧勝300議席超の勢い」と報じ、当初の予測より大幅に獲得議席を減らしたことを考えれば、自民苦戦の状況が伝えられることで、当初予測より議席を増やすことにつながったと言える。

しかしながら、大阪で自民党は小選挙区で維新に全敗するなど、厳しい結果であると受け止めなくてはならない。自民に投票する可能性があった方々が、維新に投票したからこそ維新が約4倍の議席数に躍進したと考えられるからである。この点について私は、国民の「改革」に対する期待を自民党が十分に吸収できず、維新へ流れたと分析している。岸田政権は、安倍政権、菅政権が打ち立てた規制改革の流れを継続し、発展させていかなくてはならない。

そして、立憲民主党は、選挙戦終盤までの予測では改選前109議席から30議席程度伸ばすというものであったが、結局96議席と、13議席も減らした。共産党も改選前12議席から10議席と減らした。一方、国民民主党は改選前8議席から11議席へと増やした。これは、我が国の安全保障上様々な懸念が生じるなか、批判だけを声高に述べる政党には投票できないという国民の声の表れであると考える。

だからこそ我々自民党は、実行と実現で国民の期待に応えていかなくてはならない。今回の衆院選でお約束した、暮らしに直結する大型財政出動は必ず実現させなくてはならない。選挙は厳しい結果となったが、引き続き政権を担って欲しいという信任を得たのも事実である。補正予算を12月中に成立させ、新型コロナで苦境に陥っている個人、家庭、事業者を支えるとともに、経済を回すGoToトラベルキャンペーンなどの施策を効果的に打っていく。さらに、半導体や蓄電池など我が国の基幹産業を再構築し、強化し、日本経済の持続的な発展と所得の継続的な向上につなげる。未来に希望を持ち続けられる日本社会となるよう、しっかりと結果を出していきたい。

関連する投稿


「子供1人生んだら1000万円」は、とても安い投資だ!|和田政宗

「子供1人生んだら1000万円」は、とても安い投資だ!|和田政宗

チマチマした少子化対策では、我が国の人口は将来半減する。1子あたり1000万円給付といった思い切った多子化政策を実現し、最低でも8000万人台の人口規模を維持せよ!(サムネイルは首相官邸HPより)


改正入管法で、不法滞在者を大幅に減らす!|和田政宗

改正入管法で、不法滞在者を大幅に減らす!|和田政宗

参院法務委員会筆頭理事として、改正入管法の早期施行を法務省に働きかけてきた。しかしながら、改正入管法成立前から私に対する事実無根の攻撃が始まった――。


硫黄島をはじめ多くのご英霊の力で、今の日本がある|和田政宗

硫黄島をはじめ多くのご英霊の力で、今の日本がある|和田政宗

先の大戦有数の大激戦である硫黄島の戦いで、日米両軍合わせて2万9千人が亡くなった。今回の訪問で、硫黄島で戦った方々がどのような状況で、どのような思いで戦ったのかを、まざまざと知ることができた。


「もしトラ」ではなく「トランプ大統領復帰」に備えよ!|和田政宗

「もしトラ」ではなく「トランプ大統領復帰」に備えよ!|和田政宗

トランプ前大統領の〝盟友〟、安倍晋三元総理大臣はもういない。「トランプ大統領復帰」で日本は、東アジアは、ウクライナは、中東は、どうなるのか?


自衛隊員靖国参拝で防衛省内に共産党の内通者|松崎いたる

自衛隊員靖国参拝で防衛省内に共産党の内通者|松崎いたる

自衛隊員の靖国参拝の情報を赤旗と毎日新聞にリークした者を突き止めようとする防衛省と、防衛省内にいる内通者を守ろうとする共産党――事の本質は安全保障に直結する深刻な問題だった。


最新の投稿


【今週のサンモニ】「サンモニ」の”恐喝”方法|藤原かずえ

【今週のサンモニ】「サンモニ」の”恐喝”方法|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。


「子供1人生んだら1000万円」は、とても安い投資だ!|和田政宗

「子供1人生んだら1000万円」は、とても安い投資だ!|和田政宗

チマチマした少子化対策では、我が国の人口は将来半減する。1子あたり1000万円給付といった思い切った多子化政策を実現し、最低でも8000万人台の人口規模を維持せよ!(サムネイルは首相官邸HPより)


【読書亡羊】出会い系アプリの利用データが中国の諜報活動を有利にする理由とは  『トラフィッキング・データ――デジタル主権をめぐる米中の攻防』(日本経済新聞出版)

【読書亡羊】出会い系アプリの利用データが中国の諜報活動を有利にする理由とは 『トラフィッキング・データ――デジタル主権をめぐる米中の攻防』(日本経済新聞出版)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【今週のサンモニ】岸田総理訪米を巡るアクロバティックな論点逃避|藤原かずえ

【今週のサンモニ】岸田総理訪米を巡るアクロバティックな論点逃避|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。


わが日本保守党|広沢一郎(日本保守党事務局次長)

わが日本保守党|広沢一郎(日本保守党事務局次長)

昨今の政治状況が多くの日本人の心に危機感を抱かせ、「保守」の気持ちが高まっている。いま行動しなければ日本は失われた50年になってしまう。日本を豊かに、強くするため――縁の下の力持ち、日本保守党事務局次長、広沢一郎氏がはじめて綴った秘話。