だが、それで先天的なサイコパスが治るはずがない。しかし、収容期間は「区切られ」、快楽殺人者が「満期出所」したら、日本では再犯の危険性を社会で負担しなければならないのである。
岡庭は2018年に満期出所し、翌年には、当該の茨城の事件を起こした。たとえ担当医が「治療困難」と診断しても、現行法では規定以上の入院継続は許されないのだ。そこには「人権の壁」がある。
犠牲者の人権ではなく加害者の人権だけが叫ばれる倒錯した甘やかし社会は今も続いている。民法改正によって成人の年齢が20歳から18歳に引き下げられることに伴い、少年法改正が今国会でも焦点の一つになっている。
だが、18歳から19歳を「特定少年」と規定し、少年法の保護対象として継続する方針で議論されている。選挙権を行使しても、保護は「少年と同じ」というわけだ。
本当に犯罪者の人権を守りたいのなら、「犯罪者にならない権利」を守るべきではないのか。岡庭の場合も少年事件の際、取り調べや公判の過程で、自分が快楽殺人者である供述やシグナルを何度も発している。
これは「自分を殺人者にしないでくれ」という叫びではないのか。場合によっては生涯にわたって治療を受け、“治るまで”継続されれば、「犯罪者にならない」ことも可能だった筈である。
しかし、これを「社会に解き放ち、再犯させ、死刑台に送り出す」との信じがたい政策の日本――偽善に蝕まれ、本末転倒の社会であり続ける国家の姿がここにもある。
作家、ジャーナリスト。1958年、高知県生まれ。中央大学法学部卒業後、新潮社に入社。週刊新潮編集部に配属され、記者、デスク、次長、副部長を経て、2008年4月に独立。『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社、のちに角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。近著に『オウム死刑囚 魂の遍歴―井上嘉浩 すべての罪はわが身にあり』(PHP研究所)、『新聞という病』(産経新聞出版)がある。