「ネーム・コーリング」というプロパガンダ
わざと質問を短く抑えたのだが、質問より長い返事をもらった。ナアマン教授が無名の私に答えてくれた理由はふたつあると思われる。
ひとつは、丁寧な表現で、質問が簡潔で明確であったこと。これはマナーとして大切なことだ。たとえ不満があっても、いきなり感情をぶつけるようなことをしてはいけない。
もうひとつ、ナアマン教授は要するに、データを抽出して開示しただけであって、特定の価値判断はくだしていない、トランプ支持者を十把一絡げに陰謀論者とみなしていない、と説明(釈明)しているわけだが、私の質問の意図を理解して、想定される批判をかわしておきたかったのだろう。
自然科学であれ、社会科学であれ、科学的アプローチを取るうえで忌避すべきは極端な前提や一般化である。「大統領選挙に一切の不正はなかった。不正を言うのはデマと同義である」という前提(assumption)を立ててしまったら、その瞬間からリサーチ結果が偏向するのは当然である。
だから、ナアマン教授は「個人的には不正はなかったと思っているが、リサーチの前提ではない」と言わなくてはならなかった。また、選挙に不正があった可能性を追求する人々を全員カルト信者でデマ拡散者であるかのように一般化してしまうのも、非科学的である。個別の分析と検証なき一般化は絶対にやってはならないことだ。
敵とみなす人々を一緒くたにし、レッテル貼りして糾弾するやり方は「ネーム・コーリング」という伝統的なプロパガンダの手法だ。
ナアマン教授は「あなたのリサーチはプロパガンダではないのか?」という批判を避けるために、「個別のツイート内容に対する評価はしていない。生データを添付しているから、評価は各人でやって欲しい。誰も一般化しないことを願う」と言わざるを得なかった。
しかし、この指導教授の説明がないままに、リサーチを行った学生のツイートを読んだら、ナアマン教授の説明が彼の指導する学生たちに共有されているのかという疑問が残る。残念ながら教授は、議論はしたくないとのことだから、今回はそれを尊重する。
ナアマン教授の文体はカジュアルで、礼儀正しいとは言えないが、いかにもシリコンバレーのカルチャーを反映していると思うし、私もシリコンバレーに本社がある会社で働いた経験があるので、特に失礼とは思わなかった。
トランプ再選を願っていた理由
この研究報告で名指しされた方々は不愉快な思いをされたことだろうが、いま世界中で、有名無名に拘わらず、キリスト教徒や保守系論者が抑圧される傾向が強まっており、それへの反発も高まっている。ポーランドやハンガリーでは巨大SNSから言論の自由を守る立法まで検討されている。
なぜポーランドやハンガリーなのか。
それは、それらの国々にはソ連の共産主義の下で思想統制と言論弾圧に苦しんだ過去の記憶があるからだ。そのソ連と戦ったアメリカがいま、中国共産党と結びつくネオ・マルクス主義などの極左リベラル全体主義に深く侵されているとは、なんという皮肉であり、悲劇であろうか。
我々は、このような言論統制の圧力に正面から対峙しなくてはならない。そうであればなおさら、感情的にならずに、冷静で理知的な反論をする必要がある。こういう事態を想定していたからこそ、それを避ける為にJアノン認定されたお三方も私もトランプ再選を願っていたのだった。
問題の本質は自由民主主義の危機なのである。