『もう一度 花咲かせよう 「定年後」を楽しく生きるために』残間里江子 著

残間里江子(ざんま りえこ)
1950年仙台市生まれ。アナウンサー、雑誌記者、編集者を経て、1980年、株式会社キャンディッド・コミュニケーションズを設立。雑誌「Free」(平凡社刊)編集長、山口百恵著「蒼い時」の出版プロデュース、自主企画事業、映像、文化イベント等を多数企画・開催。
撮影 佐藤英明
年齢を過剰に意識
――「人生100年時代」といわれています。まえがきには〈会社をリタイアしても、人生は終わっていない。本書は人生に最後の花を咲かせたいと思っている全ての大人たちに捧げる応援の書である〉とありますね。団塊(だんかい)の世代の一員である残間さんが、同世代の人たちとの交流や仕事を通して感じたことや、日常のこと、家族について考えたことなどを綴っていらっしゃいます。
残間 びっくりしたのは、知人がメールをくれて、「最後まで読んでも、どうやったら花を咲かせられるのかの方法がまったく書いてありませんでしたね」といわれたこと(笑)。これはすごく褒めてくれたのよ。逆にいえば、「そんなハウツーを本に期待しているようじゃダメだよ」ということでしょう。
実はこれを書いている間、わたし自身が心身ともに絶不調だったの。3年半前に15年以上介護した母が亡くなったとたん、わたしにもいろんな病気が出てしまって、いちばんひどいときには9つの診療科に通っていた。棘突起(きょくとっき)過敏症とかブシャール結節とか、死に直結するものではないんだけど……。
気持ちも疲弊してしまって、なんかもう人生全部ダメだって思って落ち込んでいました。わたしは来年、古稀(70歳)なんだけど、これまでは年齢なんて意識したことがなかった。それなのに過剰に意識するようになり、「歳をとるってこんなに可能性がなくなるように感じるものなのか、こんなにめげることなのか」って。
だから、「もう一度花なんか咲くわけないよ」なんてグズグズいいながら書いてたのよ。
――子どもの頃から「病気の問屋」といわれるくらい、たくさんの病気を抱えていたそうですが、一見とても元気そうに……。
残間 丸顔だからね(笑)。コロコロ街を転がって歩いてるみたいに思われてるから、病気だの落ち込んでるだのといっても説得力がない。
まあ、しおれた顔をしてても似合わないから外では笑ってて、でも家に帰ってくると溜め息をついて、将来も未来もないなあって。
それが2年くらい続いたのかな。だけど、それでもとにかく生きてる。周りを見ると、ガンになってる友だちもけっこう多いんですよ。わたしだって、いつどうなるかわからないじゃない。このまま萎えたんじゃあなーって、萎えてるのも少し飽きてきたわけ。ずっとグズグズいってたんだけど、でもこのグズグズがあったからこそ、この本が書けたともいえるんだけどね。
若い頃は、手にしたものをいったん全部捨ててゼロになったところからこそ新しい花を咲かせるエネルギーが出てくるのだと思っていたけど、ちょっと待てよ、今はもう、そうもできないかもしれない。だったらいまあるご縁みたいなものや、わたしごときにも声をかけてくれるひとを大切にしなくちゃいけないんじゃないか。
相手から「もう必要ない」といわれるのが怖いから、自分から去っていくということも昔ならできたけれども、今はむしろ、必要とされている間はちゃんとそれに向き合うべきなんじゃないかと思うようになってきた。雑誌やラジオ、イベントなどの仕事にしても。
豪華なランの花なんかは好きじゃないけど、せっかく生まれてきたんだから、そうやって野辺に咲く小さな白い花くらいは、やっぱりもう一度咲かせたいわよね。
ひとを励ますのが好き
――この本は団塊の世代へのメッセージなんでしょうか。
残間 周りを見てると、男性たちは特にこの2、3年、65を過ぎたあたりから急に元気がなくなってるね。仕事を辞めてから何をやってるかといえば、ずっとゴルフだったり、楽器を習い始めて発表会をやってみたり、妻と温泉巡りをしたり。花を咲かせたいと思いながらなんとなくこのまま埋もれてしまいそうなひとが多いから、もったいないなと思っているのよ。
「そんなこと何年やるの。人生はまだ続くんだよ」っていっても、「いいんだよ」って答えるの。でもやっぱり、しばらくするとやめてるね。その後どうするのかというと、家にいて猫を転がしてるんだって。犬は元気すぎて転がせないし、とうとう転がすものがなくなって、そばにいて反抗しない猫を(笑)。
悪くはないけど、それにしては先が長いよね。家の中で、こだわりのカッコいい作務衣(さむえ)着てさ、猫だけ相手にしてたってどうなるのってなるじゃない。でも友人だし、皮肉いってもしょうがないから、会ったときには「ねえ、まだ何かやれるんじゃない、あなただったらこういうことできるんじゃない」っていうの。わたし、ひとを励ますのが好きなのよ。励ました後で萎えちゃうんだけど。
ひとのことずっと励ましてると元気がなくなっちゃうでしょ。自分で自分を励ますのもおかしいし。ひとりになると、まああのひとたちの気持ちもわかるよなって思う。でもやっぱりね、立ち直りは早くしなくちゃ。

『もう一度 花咲かせよう 「定年後」を楽しく生きるために』残間里江子 著
中公新書ラクレ 本体820円(税別)
撮影 佐藤英明
女性も定年後が課題に
――本書では、70歳を超えた男性たちが、社会的課題を話し合って貢献しようという「世直し結社」を作るエピソードも紹介されていますね。
社会とのつながりという点では、残間さんは11年前に大人のための会員制コミュニティ「クラブ・ウィルビー」を創設して、様々なプログラムやイベントを提供されています。
残間 「ウィルビー」の会員は全国に1万3千人、平均年齢は53くらいかな。男女はだいたい半々くらい。
始めた頃の入会者は団塊の世代が多かったけど、そのひとたちはもう70歳前後でしょう。いまでは男性も女性も、入会してくるのは50代後半が多くて、さてこれからの60代をどう過ごせばいいんだろうと不安に思ったときに、同世代や人生の先輩たちのネットワークとして目にとまるみたいですね。
いや、やっぱり50代後半の女性が多いかも。わたし案外、今いちばんしんどいのは50代の女性じゃないかと思ってるの。
この本の副題は「『定年後』を楽しく生きるために」で、出版社がつけたんだけど、わたしは最初「定年後」といったら男性をターゲットにしてアピールしてるみたいで嫌だなと思ってたんです。でもあにはからんや、実際には女性の定年後もいま、けっこう大きな課題になってるのよ。
企業や組織で働いている50代の女性って驚くほどたくさんいて、彼女たちはそろそろ定年が視野に入っている。65歳まで働けるというけど、そこまで居られるかどうか、というのね。
男女雇用機会均等法の世代で男並みにバリバリ働いてきて、そして今は女性活躍社会といわれるから会社も中間管理職以上に女性を置きたがる。それなのに役員のポストは、圧倒的に同期の男たちのものになっている。だから居にくいというの。
それにそういう女性たちは独身か、離婚してひとりというひとが多い。小さなマンションくらいは手に入れて、ある意味では後顧(こうこ)の憂いなく社会に出てきているから、会社から頼みにされている。どういうことかというと、もっと若い世代で結婚しているひとたちは、女性はもちろん、男性もイクメンだのなんだのって家庭的になってて育児休暇など取るのよね。そうすると、仕事のできる50代女性がその補填(ほてん)人員になってしまってるのよ。
意外だったのは、そんなひとたちの「60を前にして、これからどうしようかと思ってたんです」という声が多かったこと。で、「本を読んでみたら、こうなっちゃいけないということがわかりました」って(笑)。
「クラブ・ウィルビー」に入会してくる50代後半の女性たちは、それとは少し違うんだけど。子どもが巣立っていって、もう一度、自分に立ち返って、そこで家庭とどう向き合うかという問題に直面していたり、夫と死別していたり、病を得ていたり。「ウィルビー」には、ふつうのひとなのにハッとするほど素敵なファッション・センスの70代とか、病気を克服して活動しているひととか様々なひとが集まるから、忌憚なくいろいろ質問したり、話したりしていますね。
もっと本音を話そう
――シニア世代に向かって、もっと本音を話そうと呼びかけるエピソードも印象的でした。
残間 50代はまだシニアという認識はないでしょうから、60代以上のひとね。
特に、われわれ団塊の世代がカッコつけてるんだよね。どういえば自分がどう見えるかを熟知してるから、自分の本音よりも、カッコよく思ってもらえるようなことをいいたがるの。「どう思われようがわたしはわたし」みたいなのって、団塊の世代ってなかなかないんですよ。周囲をいつも気にしてたから。
たとえば、本音では年をとったら子どもと同居したいと思っているのに、ずっと「あんたの世話にだけはならないからね」といい続けてきてたために、それを口に出せなくなっているとか。本当は赤い服が着たいのに、年甲斐もないといわれるのが嫌だから地味なものを選ぶとか。逆に年寄りくさいと思われたくないから、無理をすることもあるし。
聞いているひとは、そうなのかと思ってしまうでしょう。でも本音と世の中とがミスマッチになると、シニアが本当に欲しいものが手に入らなくなりますよ。
――若い世代のひとたちには、この本をどう読んで欲しいですか。
残間 若いひとたちには難しいかもね。ただ親の世代のことを理解するためにはいいかも。
今の30~40代は、まだ親のことを理解しかねているのよ。さっきいったように、本音と建前が違っていて、ええカッコしいで、ウソではないんだけど本当ではないことをいい続けてきてるから。
「好きなことやっていいわよ、お母さんもあんたたちには迷惑かけないから」というけど、本音は「迷惑かけてもいっしょに暮らしたい」っていうのを飲み込んじゃってる。本当のことをいわないから、子どもたちも戸惑ってるわけよね。
うちの会社の若いひとにこの本を渡したら、
「母に読ませたら、本当に面白いっていってました。ぼくも、ああそうだったのかと思うところがいっぱいありました」
といってた。だって若いひとは親のいってることがわかんないっていうんだもん、何が本当なんだか。だから「全部本当で全部ウソだよ」っていってるんだけどね。
もう一度修業をしよう!
――シニアの人口は多いですから、社会とのつながりが、ますます大事になりますね。
残間 同世代のひとたちにはまだまだがんばってほしいわ。10年くらい前までは、自分のなかにもいまとは違う野心があって、同世代で光が当たっているひとを見ると、やっぱり羨望と嫉妬で「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ」みたいな心境だったけど(笑)、近ごろでは心の底から「がんばって」って思うもの。それはだんだん、同世代が視野のなかからいなくなってきてるということでもあるんだけど。
わたし自身は、文章を書くことに改めて向き合っていこうとか、いまもいろいろ考えています。もう一度修業をしよう、とか。自分は何がやりたいのか、やり残したことはあるのか。自分にまだ何か可能性のようなものがあるのか、ないのか。
家のなかでグズグズしてたってしょうがないものね。新しい一歩を踏み出さなくちゃ。
著者略歴

1950年仙台市生まれ。アナウンサー、雑誌記者、編集者を経て、1980年、株式会社キャンディッド・コミュニケーションズを設立。雑誌「Free」(平凡社刊)編集長、山口百恵著「蒼い時」の出版プロデュース、自主企画事業、映像、文化イベント等を多数企画・開催。
撮影

神奈川県警で警察官として勤務の後、カメラマンを目指し六本木でアシスタントとして修業し、独立。『エンマ』『週刊文春』や映画宣伝カメラマンとして撮影を担当し、現在に至る。月刊『Hanada』では佐藤優さんの連載「猫は何でも知っている」の猫写真を担当するほか、対談写真を撮影。