「国民のために働く」とか「スピード感をもって実行する」という新味のない言葉が流行はやり、菅氏グッズまで売り出されるなど、菅義偉首相の評判は滑り出し好調だが、率直に言って不安がある。自民党総裁選を戦った菅、石破茂、岸田文雄の3候補に共通するのは国家観の欠如だ。国際情勢の中で日本がいかなる位置にあるのかを正確に把握しない限り、国家観は生まれてこない。
日本記者クラブで行われた3候補の討論会で、記者団側から外交・防衛に関する質問が皆無だったのには異常な感じを受けたが、その後、総裁選直前まで新聞、テレビに連日登場した3候補から、国際情勢に関するまとまった見解を耳にできなかった。先進7カ国(G7)で、最高指導者の選出に当たって国内問題だけを討論する国は日本以外にないだろう。
「吉田ドクトリン」対「普通の国」
安倍晋三前首相には国家観が明確にあった。第1次政権では「戦後レジームからの脱却」の看板を掲げた。戦後レジームとは日本国憲法にほかならない。安倍氏の改憲の主張はここに発する。安倍氏は第2次政権発足から1年の節目に当たる2013年12月と、退任後の9月19日に靖国神社を参拝し、国に殉じた英霊に祈りを捧げた。3候補の口からは靖国神社のヤの字も出てこない。菅首相は今後、機会を見つけて参拝するのであろうか。そうでなければ、中国を刺激しないよう忖度(そんたく)していると見られても仕方がない。
戦後の日本の国家観を説明した永井陽之助氏(東京工業大学名誉教授)は「吉田ドクトリン」の名付け親だ。実際には吉田茂元首相は無関係なのだが、米国の再軍備要求を断って「軽武装・経済大国」の道を歩んだ日本の行動をこのように形容した。この考え方は今なお政、財、官、言論界に広く共有されている。国際情勢の激変で「吉田ドクトリン」が通用するか、だいぶ怪しくなってきたが、自民党の中にも改憲反対論があるのはこのドクトリンのためだ。正しいかどうかは別として、一つの国家論である。
1991年の湾岸戦争の際に、日本は石油の8割をペルシャ湾岸に依存しながら、資金を出すだけで何の貢献もしなかった。その反省から小沢一郎氏は、軽武装・経済大国ではなく、湾岸戦争で米国に協力した他の普通の民主主義国のようになるべきだとして、「普通の国」論を展開した。これも立派な国家論だ。小沢氏はその後の言動が「普通の国」とは異なる方向へ曲がってしまったが、考え方自体は生きている。一方、安倍氏は著書「美しい国へ」で堂々たる国家論を展開している。