国民が呆れた メディアと野党の茶番劇
『月刊Hanada2018年7月号』より
モリカケという「集団ヒステリー」
♪野党議員は、気楽な稼業ときたもんだ~。何しろ、国会やテレビカメラの前で、ナントカの1つ覚えのように「モリ、カケ」とだけ唱えていれば高給がもらえるほか、文書交通費や政党助成金も支給される。3人の公設秘書もついてくる。こんなに簡単で楽な商売が、世の中にあっていいのだろうか。
なかでも声が大きく、悪口雑言や印象操作に長けていて、他者の人権に無頓着な者ほど注目され、テレビに映してもらえる。効率的に売名もできるというわけだ。
マス・メディアも似たようなものである。嫌いな相手を証拠も何もなく「悪」だと決めつけて、あとは「怪しい」 「疑わしい」 「疑念は晴れない」「無実だったら自分で証明しろ」と連呼し続ければ、紙面も放送枠も埋まっていく。自分たちは絶対正義であるという実は何も根拠のない高みに立って、勝手に「悪」と仮定した相手を叩き続け、相手当人のみならず、周囲の人間をいくら傷つけても気にしない。それでいて、日本人の平均給与をはるかに上回る高給を食んでいる。
そして、そんな野党議員やメディアに一定数の国民が騙されたり、影響を受けたりして国政を停滞させている。喜ぶのは中国や北朝鮮ばかりという構図である。
本当はこういう言い方はしたくないが、日本社会の劣化は目を覆わんばかりだ。野党議員や多くのメディアは、自分たちが何をやっているのかまるで自覚していない。無自覚なまま日々、「凄惨で荒涼とした茶番劇」を上演している。
森友・加計学園問題をめぐって現在起きていることは、集団ヒステリーであり、集団リンチであり、いじめであり、もっとはっきり言えば魔女狩りであり、魔女裁判である。
事実や実態などどうでもよく、ただ自分たちが「敵」または「いけにえ」に選んだ相手を、手段を選ばず火あぶりにしようとしているだけではないか。
17世紀末の米マサチューセッツ州セイラム村で始まった魔女裁判では、19人が処刑され、1人が拷問中に圧死、5人が獄死したという。集団心理と狂気じみた正義感に囚われ、感情が制御できなくなった群衆は、いくらでも残虐にも愚かにもなる。
セイラム魔女裁判では、ある人物を魔女だと証明する方法はいくつもあった。実態がなくとも、もっともらしい告発者の証言があれば有罪とされた。モリカケ問題では、証言者が違法行為を犯した不道徳な性向の持ち主であろうと犯罪容疑者だろうと、安倍晋三首相やその周囲に不利になるのであれば何でも利用されている。
魔女裁判では、魔女と疑われた者の手足を縛り、重い石とともに水のなかにほうり込んで、浮いてくれば魔女の証明とされた。沈めば無実となるが、そのまま死んでしまう。
こんなことが現代日本で、選良とされる国会議員やメディアによって実行されているのだ。