名物対談「蒟蒻問答」伝説の第1回を完全再録!|堤堯・久保絋之

名物対談「蒟蒻問答」伝説の第1回を完全再録!|堤堯・久保絋之

元『文藝春秋』編集長・堤堯氏と元産経新聞論説委員・久保絋之氏がリアルタイムの話題を丁々発止に、時にマジ喧嘩にまで発展する本誌名物連載対談「蒟蒻問答」、その第1回を完全再録! 2006年2月に行われたもので、タイトルは「紀子さまご懐妊は天の啓示だよ」。紀子さまご懐妊を中心に、女性・女系天皇の話題にまで斬りこみ、令和の時代にも通じる分析・論考です。


イザヤ・ベンダサンの正体

 ここ2、3日ずっと、山本七平さんの『聖書の常識』(山本七平ライブラリー第15巻/文藝春秋)を再読しているだけど、これが汲めども尽きぬ知恵の宝庫だ。読んでいて、ほんと面白い。

久保 初版はもう20年以上まえに刊行されたものでしょう。

 このなかで山本さんは、聖書について述べたり、あるいは聖書に出てくる、エルサレムやらマサダやら死海やらを訪ねて、その土地の往時に起こったことを現代日本と対比させている。

たとえば、エルサレムはローマに占領されていた。いまの日本はどうか。一応、独立回復ということになっているが、21世紀のローマであるアメリカに、いまだ占領されているに等しいともいえる。昔、エルサレムで起こったくだりを読むと、いまの日本で起きている事がアナロジカルに読める。山本さんは聖書を論じながら、常に現時点での日本を思い浮かべて書いている。もう二十年が経ったんだけど、ぜんぜん古びていない。

久保 聖書は古びませんからね(笑)。

 いやそうじゃなくって、山本さんの言っていることがだよ。20年前に、「今の日本にたとえればこうだとか」といって、往時のユダヤがローマに叛乱を起して潰された、それを論じながら、時折文章のなかに、生々しいことを混ぜる。

同じように歴史を論じながら、司馬遼太郎さんはほとんど生々しいことを言わなかった。山本さんはそれをやる。20年前に言ったことが、現在から見るとまったく的外れじゃない。

山本七平ってのは、戦後日本で五指に入る思想家と言っていい。『日本人とユダヤ人』が書店に並んだとき、さっそく買った。著者はイザヤ・ベンダサンとある。読んでみると、こりゃ面白い。イザヤ・ベンダサン探しが始まったのは、それからしばらくしてだ。

でも俺は、イザヤ・ベンダサンは発行元の山本書店店主、山本七平さんだと即座に思った。なぜなら、山本さんというのは当時、日本の聖書学または聖書考古学の権威であり論客だった。植物学でいうところの牧野富太郎、漢字でいうところの白川静みたいな人だ。

はたして、山本さんに会って、ふたことみこと話したら、「この人がベンダサンだ」と直感したね。

久保 ベンダサンの正体を隠すのにいろいろと手を変え品を変えたようですね。確か、アンドレ・ジッドだったと記憶しますが、全く別のペンネームで、別人に成りすましてジッド名の、つまり自作の小説を批評したりしていましたが……。

 そのとき、イザヤ・ベンダサンというペンネームの由来を聞いたけど、煙に巻かれちゃった。イザヤというのは「第一イザヤ」「第二イザヤ」ともにユダヤの核をなす、大変な賢者のこと。ならば「ベンダサン」というのはどういうことか。

それで山本さんに「物言わぬは腹ふくるる業」だから、「『いざや、便出さん』てなことですかね」と言ったら、七平さんは呵呵大笑したよ(笑)。

久保 それにしても、山本七平=イザヤ・ベンダサンという知識人の形というのは、相当特殊です。

 彼は、フィリピン戦線で捕虜になった。その捕虜体験というのが、彼の思想の核になっている。山本さんは青山学院を出て、無宗派のキリスト教徒になる。無宗派というのは、坊主を介さずに神と直接に対話する。山本さんは内村鑑三の系譜に連なる無宗派のクリスチャンだった。そこから、モノがよく見えるんだな。

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山本七平『聖書の常識』は文春学藝ライブラリーで現在も発売中。

山本七平の仮借ない追及

久保 実は、僕はその山本七平ライブラリー(第5巻『指導者の条件』)の解説を書いているんです。イザヤ・ベンダサンの文章には、仮借なく日本軍を追い詰めていくくだりがある。

これは『下級将校の見た帝国陸軍』とか、全著作を貫くモチーフなんですね。また皇室・天皇制にたいしても実に「冷めた眼差し」を向けている。なぜイザヤ・ベンダサンがそこまで欧米的思考を持っていたのか。これは単なる「三代目キリシタン・山本七平」ではない、何かがある。

軍隊経験を持つという点では、司馬遼太郎と共通しているが、厳しさが違うんですね。山本さんの追及の仕方というのは、ナチを追及したモサドの意識に近い。たとえば『現人神の創作者たち』のあとがきでは「戦後二十余年、私は沈黙していた。その間、何をしていたかと問われれば『現人神の創作者』を捜索していた」と書いているくらいですから。いったいこの人は何者かということを、その解説の中で書きました。

じつはこの解説を書いた後、半年くらい経った頃だったか、七平さんの縁戚で幸徳秋水の大逆事件に連座した者がある、という話を雑誌で読んで、何となく合点がいったような気がしたのですが……。

 七平さんは無宗派のクリスチャン、つまりは一神教教徒だよ。日本では、一時期天皇というのは一神教だった。日本の歴史ではヘテロ(異質)な存在だった。西洋の東漸に対抗するために、つくらざるを得なかった。

山本さん自身、一神教徒だから、日本の「天皇一神教」にたいして、非常に鋭い犀利で透徹した見方ができた。Aの一神教徒がBの一神教徒のことをよく見えたということだ。

久保 河合隼雄は、記紀神話から抽出した「中空均衡型構造論」のなかで、「中空均衡型」と「中心統合型」をモデルとしてあげている。河合のスタンスは、あくまで日本型の「中空均衡型」、すなわち天皇的な構造の中に置いているので、どこかでそこからは離れないんですが、山本さんは違います。

日本教のきわどい淵まで行きながら、河合のように決して肯定的な、積極的側面を読み込んだりはしない。常に一歩手前で踏みとどまる。

「中心統合型」の方から徹底的に変えなきゃいかんと、しかし日本の組織は変わらないだろうと。戦後日本の組織、たとえば自民党、総評、農協などは、戦前の日本陸軍と同じ構造を持っているじゃないかという。まさに、そのスタンスの違いが重要なんです。まかり間違えば、山本は天皇廃絶論にまで行ってしまう可能性がある。

たとえば、山口昌男が天皇論を展開するときに、天皇は外在的にあるのではなく、内在的に自分の内にあるんじゃないか。自分の内なる天皇というものを、徹底的に掘り下げていくと、竹内好の言うところの「一木一草に天皇制がある。われわれの皮膚感覚に天皇制がある」(『権力と芸術』)になる。

天皇を取り払ってしまうことで、究極的には日本文化までもが取り払われていってしまうんじゃないか。天皇は簡単には無くならないぞというのが山口の論理ですよね。

こうしてみると、山本さんは左の論理というか、西洋的論理の側にいると思います。たとえば、「人の和」を重視する世話人型指導者像にたいして、非合理性からの脱却・新しい合理性の追求を危機の時代に求められる新しい指導者像として、断固として対峙されたように……。

それにしても、いま自分が新聞記者だったら、女系天皇とか女性天皇はダメで男系男子を貫くべきだ、なんて簡単には書けない気がする。

 なぜ書けないの?

久保 それは天皇には元来両義的な側面というか、中国の皇帝のようなエンペラーとしての側面とともに、シャーマニズム的な要素があるからです。男系男子だけでは、天皇のなかの卑弥呼的なものは説明できないでしょう。

儒教が輸入され、それとともに律令制という中国式権力構造が入ってきた。それは男系的社会なんでしょうが、それより遥か遡れば卑弥呼の時代があって、それはまさに女性であり女系天皇的だったわけですよね。

これは山口理論の受け売りなんですが、いつだったか、僕がいい加減に山口理論を引用するので「勉強しろ」ということだったのか、『天皇制の文化人類学』が文庫本になったとき、先生名で岩波書店から一冊戴きましてね。

それによると、王権というのは、そもそも男性的な部分と女性的な部分とを持っていて、その両義性というか、二元性・二重性から成り立っているんです。天皇の構造も本来それに倣っていて、いわゆる女性的な制度、「後宮」的な制度、いわゆる「奥」を背後に取り入れていく。

同じような構造は、中国王朝のような男系的社会でも制度としてあるんだけれど、女性というものを簡単に排除して男性的なものだけを残してしまうと、天皇の持っている豊饒な可能性の一面を消してしまうんじゃないかと、いつも思っていて、それで筆が進まない。

日本浪漫派の保田與重郎が「万世一系」について、「水に身をゆだねたコメ作りこそ循環の理の根源にかなうものだから、必ず変動なく子々孫々に一貫するだろう、と考えたときの理念が萬世一系の思想である」と、日本の永遠について説明しています。とするならば、天皇というのは日本のコメ作りの思想と密接に絡んで一心同体といってもいい。

そこでの女性の位置というのは、ただ男女同権というようなチャチな薄っぺらなもんじゃない。網野善彦は農業というのは田畑を耕す男性の世界と養蚕や綿作、それを使った織物は女性の世界だったといっています。とても構造的に深い女性的なものと一体であるわけです。

天皇のなかの女性的なものというのを簡単に切られてしまうと、律令制度ができて、男系社会ができてこれが前面にクローズアップされたために、卑弥呼的なシャーマン的なものというのは消えていってしまう。権力的なものは男の得手でしょうが、霊的なものは女の方ですからね。

王権の母体は何が支えているかというと、男性的なものだけではない、女性的なものの働きがあるんです。江戸幕府は「大奥」という女性の組織が支えた、それと同じ構造は天皇制のなかにあったわけです。

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