「さくらねこ」の目印
それは目印のために片耳の先を、V字型に小さく切り取った猫である。その耳の形を桜の花びらになぞらえて「さくらねこ」と呼ぶ。目印が意味するのは、この猫は不妊または去勢手術が済んでいますよ、ということ。多くは飼い主のいない、外で暮らすいわゆるノラ猫だ。皆さんのご近所で見かけるあの猫も、よくよく見れば「さくらねこ」かもしれません。
自由気ままに暮らしている猫をわざわざとっ捕まえて、子どもが生まれないように手術して、しかも耳までカットするとは残酷だ、と思うひともいるかもしれない。けれどもその裏には、複雑で深い事情と、何十年にもわたる多くの人たちの奮闘の歴史があるのだ。
「毎年『猫の日』になると、うちのホームページのアクセス数が増えるんですよ。『さくらねこ』はまだまだ認知度が低いですし、以前から記念日をつくったらどうか、とは考えていました。3月22日は桜の開花日にも近いですから、ちょうどいいのではないかと思ったのです」
そう話すのは、どうぶつ基金の佐上邦久理事長だ。さくらねこ、という名称を提唱したのも同団体である。
日本では年間に3万4000頭以上の猫が、いわゆる保健所などで自治体によって殺処分されている(平成29年度。犬は8300頭余)。そしてそのうちの3分の2が乳離れしていない仔猫だ。この赤ちゃんたちは殺されるために生まれてきたことになる。そのほうがよほど残酷ではないか。
猫たちを手術で「さくらねこ」にするのは、人間の都合で殺されてしまう命が生まれないようにするための方法なのだ。どうぶつ基金だけでなく、全国各地でたくさんの愛護団体やボランティアたちが、手術をする活動に取り組んでいる。その目的は殺処分の数を減らし、最終的にゼロにすること。
「私たちが初めて『殺処分ゼロを目指します』といったとき、『そんな夢みたいなことが実現するはずがない』と笑われました」
と、どうぶつ基金の佐上悦子さんがいう。ほんの20年ほど前、全国では犬・猫合わせて63万頭が殺処分されていた(内、猫は約30万頭)。平成の初めまでさかのぼれば、100万頭という時代だってあったのだ(猫はこの頃も30万頭ほど)。
犬の処分数だけが目に見えて減っていったのは、狂犬病予防法の対象だったから。一定の年齢以上のひとならば、どこの地域でも見られた「野犬狩り」の光景も記憶にあるかもしれない。
でも猫は放っておかれた。体が小さいから害がないと思われたのだろう。しかしどんどん生まれて増える猫は、迷惑がられることになる。強烈な糞尿の匂い。けたたましいサカリ声。その辺にうじゃうじゃいて気味が悪い……。人間とは自分勝手な動物なのである。そこで仔猫が生まれたら保健所へ、また生まれたら保健所へ。このサイクルは永遠に続くものと、みんな諦めていた。
猫の問題は、人間の問題
「平成16年から今までに、どうぶつ基金が手術をした猫は8万頭以上です」
と悦子さん。この間に「殺される数を減らすためには、蛇口を締めればよい=不妊・去勢手術をすればよい」という考え方は少しずつ広まっていった。数え切れないほど多くのひとたちが日本各地で、長い時間をかけてそれぞれ地道な活動を積み重ねた。そしてようやく、3万4000頭余にまでこぎつけたのである。
「この数の推移を見れば、劇的な特効薬ではないにせよ、手術が有効な手段であることはわかってもらえると思うのですが」
もちろんそれだけではなく、動物愛護のための啓蒙活動や、地域住民の動物に対する意識の変化など、必要な要素はほかにもまだまだある。そういったことを含むすべての努力が、ゼロというゴールを確実にたぐり寄せているといえるのではないだろうか。
それに殺処分の問題は、単に猫や犬がかわいそう、というだけにはとどまらないのだ。自治体が動物を集め、殺し、処分する、ということが際限なく続けば、ちょっと考えただけでも少なからぬ税金が投入されることがわかる。生き物を殺さなくてはならない担当者の心的ストレスはいうまでもない。
また猫が、地域で深刻な人間関係のトラブルの原因になるケースも後を絶たない。猫が大嫌いで目の前から消してしまいたいひと、一方でこっそり餌をやってかわいがるひと。いったんこじれた対立を解決することは容易ではないが、猫の数が少なくなって住民の理解が深まれば、問題も起こりにくくなるだろう。
たかが猫、されど猫。人間の側には人間の都合や、価値観や、思惑やら信条やらがそれぞれあってぶつかり合って、何やらとてもややこしい。猫の問題はやっぱり、人間の問題でもあるのだ。