ところで、この日、目加田氏は高市政権の「骨太の方針」に対して次のように批判しました。
目加田説子氏:高等教育の構造改革ということで、成長分野の重視とともに、人文社会系のダウンサイジングという言葉が出てくるんですよね。これは少子化に伴う大学全体を縮小して行こうと。それから理工デジタルに定員を移転して行くと。それから私学助成の重点配分を検討して行こうということで、かなり重要な政策転換なんですよね。
それでもちろんAIだったりとか、17の重点分野で指摘されているような分野で活躍する人材を育成するということは言うまでもなくとても大事なことなんですけれども、そもそも人文社会科学系の社会的価値を労働市場の需要だけで測ってよいのかという問題がありますし、歴史や哲学であったりとか、それから倫理学であったりとか、今後むしろAIの時代になってくると、重要なのではないかと指摘されている領域でもありますし、さらに個別大学の入学需要を置いておいて国が特定の学問分野について縮小を掲げることがそもそも良いのだろうかということもありますし、さらにその中では今後防衛力を支える研究開発を促進して行くということで、日本は防衛費を倍増するという方針を立てているわけですけれども、そういう中で軍事力強化に大学が利用されて行くという懸念があるのではないかということで心配しています。
まず、少子化による定員割れと教育の質の低下を防ぐために大学の定員の減少は必要不可欠です。インターネットの時代において、勉強は大学に行かなくても行うことができますし、どうしても大学に行きたければ、一定程度の学習能力を必要とする選抜試験を受けて大学に入学することが必要です。
大学の運営は血税によって成立しており、高等教育のレベルに到達しないような教育を国が提供する必要はありません。
また、定員を文系から理系に移転するのは、文系には学修時間の需要が少ないからです。
学生が学修しないような領域に血税を投入して補助するのは無駄です。文系は入学需要が高く学修需要が低いという傾向があります。このことは、文系の一部の学生にとって大学が適正な学修の場になっていないことの証左です。
AI時代に人文社会系の優れた人材は必要不可欠ですが、大量に必要となるわけではありません。そこには高い専門性と一般常識が求められます。「アルプス処理水」と「汚染水」の区別がつかないような教育レベルの人材は必要ありません。
なお、このようなダウンサイジングが必要となる元凶は、文系学生に十分な学修を求めない教育者側にあるということを肝に銘じるべきです。

