陰謀論者のレッテルを貼り抹殺
閔庚旭 私はこのような時が来るのをずっと待ち望んでいました。政界に入る前、私は韓国の公共放送局KBSで20年以上記者として務めました。不正選挙と戦うようになったきっかけも、個人的な恨みからではなく、記者として事実を調査する過程で抱いた疑惑を徹底的に検証し、その結果を国民に知らせるためでした。一部では、今の時代に不正選挙や反国家勢力が存在するはずがないと主張する声もありますが、これは全く誤った見解です。最も成熟した民主主義を誇るアメリカでさえ、外部勢力の介入による不正選挙が問題となり、現在トランプ大統領がそれに立ち向かっている状況です。私の選挙結果を見てみると、当日投票と事前投票の得票率に非常に大きな差が生じています。特に、民主党候補の得票率が事前投票で異常に高く出ていたのです。そこで、事前投票の得票率を分析したところ、立候補した3人の候補者において、事前の管内・管外投票率がすべて100:39という、信じられない数値が明らかになりました。このような一致は自然現象ではあり得ないものであり、統計学者たちはこれを操作の証拠だと口を揃えています。
柳錫春 ただ、事前投票と当日投票では二つの集団があったと思います。事前投票は左派系有権者と会社員が多いうえに、共に民主党が積極的に推進してきました。その反面、保守層は事前投票に疑念を抱いているため当日投票に集中したという面もあるのではないですか。
閔庚旭 統計学には「大数の法則」という概念があります。標本集団の規模が大きくなると、その標本の平均値は母集団の平均値に近づきます。同一選挙区という母集団からランダムに抽出された場合は、当日投票も事前投票も近似するのが通常です。ましてや 3人が100:39になるのはどう考えてもおかしい。にもかかわらず、韓国のマスコミは私や不正選挙を主張する多くの人々を陰謀論者として追い込み、私たちの声を徹底的に黙殺しました。さらに、検察や裁判所も偏った態度を取り続け、全く進展が見られませんでした。選挙法によれば、選挙無効訴訟は大法院の単審で6ヶ月以内に判決が出るべきですが、私の選挙区における票の再集計は、1年2ヶ月が経過してから行われました。さらに、残りの129箇所の再検査はさらに遅れて実施されました。そして、この再集計で多数の偽票が発見され、私と当選者の票差は、当初選管委が発表したものよりも279票減りました。それでも、大法院は私の選挙無効訴訟をまともな理由もなく27ヶ月かけて棄却したのです。
5年半にわたり左翼マスコミから受けた非難罵倒の嵐
柳教授 説明ありがとうございます。結局、事前投票者と当日投票者を同一の母集団と見るかどうかで、私は別々の集団だと思います。
閔庚旭 柳教授は、韓日の歴史問題に取り組み、私より早くから韓国の検察、裁判所、そして左派勢力と闘ってこられました。その過程を見守り、私も多くのことを学びました。特に、2019年には、延世大学の講義中にいわゆる「慰安婦は売春の一種」という発言が問題となり、起訴されました。そして、なんと6年もの長い裁判を経て、今年2月13日に大法院の判決が下されましたね。
柳錫春 その通りです。具体的な争点は異なりますが、最近になって尹大統領が直面している状況が、私が経験したことと性質が似ていると感じ始めました。振り返ってみれば、私自身もいわゆる反国家勢力である「正義記憶連帯」のような団体から訴訟を起こされ、弾圧を受けてきました。当団体は反日的な立場を掲げる慰安婦支援組織で、昨年、後援金の横領罪などで有罪判決が確定した尹美香が長年会長を務めていたことでも知られています。また、学問の自由と表現の自由という民主主義の最も基本的な権利が無視され、検察が大学教授を名誉毀損罪で起訴する事態に至りました。私は学者として研究内容を大学の講義で説明しただけですが、一審、二審、三審を通して、検察は懲役1年6ヶ月を求刑した。幸い、一審と二審の裁判所はほとんどの容疑について無罪を言い渡し、ごく一部の容疑のみ有罪と認定、罰金200万ウォンが科せられました。そして先日、大法院は原審の判決をそのまま維持しました。この過程に合計で5年半もの時間がかかり、その間、左派マスコミは最初から最後まで私を非難罵倒し続けたのです。尹大統領が12・3戒厳令を「国民啓蒙令」と表現したことには、一定の真実が含まれています。閔代表や私が長年にわたりそれぞれ経験した苦悩を、尹大統領はわずか数週間で体現し、国民に効果的に伝えることができたからです。一連の事態を経験したことで、国民は反国家勢力の存在だけでなく、事実を歪曲するマスコミの執拗さ、さらには司法府の横暴にも目を覚ましました。こうした共感を通じて、韓国国民は自国が直面している危機を理解し始めているのです。初期には多くの人が尹大統領の行動を批判しましたが、現在では世論が一変しています。次第に、尹大統領がなぜそのような極端な選択をせざるを得なかったのかを理解するようになったのです。最近、日本の知識人やジャーナリストと話をした際、12・3戒厳令に対する日本国民の認識も「親尹」の方向に偏ってきていると聞きました。こうした変化は、重要な転換点を意味していると思います。