「被害者ぶる人たち」の心象風景
なぜこんなことになるのか。本書の第3章は〈エコーチェンバーの崩壊と拡大する被害者意識〉として、この点をていねいに分析している。
被害者的世界観は、とりわけ集団間の対立が生じている状況では広がりやすくなります。自分たちの側が一方的に痛みを強いられ、相手側は恩恵を受けるばかりだとの意識が強くなりやすいのです。
まさに男女という集団の間で起きているのはこのメカニズムだろう。一部の女性が「長い人類の歴史の中で、女性はいつも犠牲者の立場に置かれてきた」と考え、一部の男性は「昨今のフェミニズムの隆盛で、男性ばかりが悪者にされている」と考える。相容れるわけがない。
いずれの言い分にもそれぞれ一分の道理はあると思うが、だからと言って人から金を巻き上げたり、刺殺したりした人物は被害者にはなりえない、という大前提が後景にひいてしまっているのは問題だろう。
しかも、一部の人々は加害者を被害者に置き換えるだけでなく、その被害者意識を自らに憑依させて、まるでわがことのように「論戦」を展開しているのだ。
こうして互いへの憎悪はSNSを介して増幅し、さらには本書も指摘するようにSNS上での振る舞いが〈対立する党派への「逆張り」や「嫌がらせ」に近づいていく〉となれば、もはやSNS上でこの手の論争をしても意味のある結論にはたどり着けない、ということになる。
「相手の言い分には頑として説得されない」ことが目的化し、文章を素直に読むのではなく、上げ足を取ったり書いていないことを読み込んだりと、曲解に次ぐ曲解を重ねて無理やりにでも「敵認定」から外れないように仕立て上げてしまうからだ。
違う意見に耳を傾けたら相手をもっと嫌いになった! クリス・ベイル『ソーシャルメディア・プリズム』(みすず書房) | Hanadaプラス
https://hanada-plus.jp/articles/1069その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!