描かれなかった広島・長崎
「スパイのその後」と言えば「祖国に帰還して英雄になる」か「スパイとばれて逮捕・処刑」か「司法取引でスパイの全容を洗いざらい話す」というのが大体のパターンだが、コヴァルはこれらとは全く違う「その後」を歩んでいる。
「発覚しなかった=完璧に任務を達成したスパイ」の行く末とはこういうものなのかと感心してしまった。
ただし、日本人である以上、どうしても気になる本書と『オッペンハイマー』の共通点として、「当の原爆を落とされた広島・長崎の描写はごくわずかである」ことは指摘しておきたい。
『オッペンハイマー』は未鑑賞だが、解説によると広島・長崎の原爆投下の事実には触れられるものの、「オッペンハイマー自身が実際に目撃していないから」という理由で、被害に関する直接的な描写はないという(間接的に被害に対する制作陣の意図がわかるシーンはあるようだが)。
その点は本書も同様で、原爆投下についての描写は、投下の事実とそれによるアメリカ政府や軍の秘密保持の動きに関する記述にとどまっている。
もちろん、本書も映画も「原爆被害」そのものを描くことが主眼ではないのだが、日本人としては「被害についてもぜひ知っておいてくれ!!」と声を大にして言いたい面はある。
アメリカに渡ったユダヤ人
そして三つ目の理由はこれまでにも書いてきた通り、コヴァルがユダヤ人であることだ。
帝政ロシア末期の20世紀初頭、当地では「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人に対する殺戮、排斥運動が起きていた。コヴァルの両親はこの惨劇から逃れるためにアメリカに渡ったユダヤ人であった。
そのため、コヴァルはアメリカ生まれのアメリカ育ちで、成績優秀な青年であった。ところが、新天地であるはずのアメリカにも差別が待っていた。ロシア革命を経たソ連に対するアメリカの警戒心が高まり、中でもユダヤ人に対しては「共産主義者」というレッテルが貼られたという。
これ自体はレッテルなのだが、実際にコヴァルの両親は熱心な社会主義者であったため、ついにアメリカにいづらくなり、一家は再び祖国ソ連へ戻ることになる。そしてコヴァルはモスクワの大学で科学を学んだが、赤軍参謀本部情報総局(GRU)に目をつけられてしまう。
アメリカ生まれで流暢な英語を話すことができる一方、社会主義の理念を信じ、科学的知識も申し分なし、と技術系スパイとしてはもってこいの人材だったのだ。