今回の最高裁判決は個別のケースに限定した判決であり、当該コメントのように判決の内容を独り歩きさせることは司法の意図と異なるものです。
特に気になるのが、相変わらず「マイノリティとマジョリティの関係」を「弱者と強者の関係」と完全に混同している点です。差別の問題について、差別の対象とされる特定のステイクホルダーを特別視して優遇することは、欧米のように差別をより助長したり、逆差別を生んだりすることになります。
その意味で「すべての国民が安心して生活ができるよう留意する」とするのは社会的正義であり、この平等原則を否定することはシス・ジェンダーに対する明確な差別です。
松尾貴史氏:「トイレに女装して入ってきたらどうだ」という犯罪的なことを前提に妄想で語ることで理解を増進することに抵抗する悪意を持ったデマをあまりにも簡単に拡散し過ぎている。単に多数派が、みんなが想像しやすいような妄想を拡げることは慎重であるべきだ。
松尾氏は一部の悪意あるデマの存在を根拠にして、女性トイレの問題の論点を安易に回避しています。例えば、男性がトランス女性を装って女性トイレを利用するのも、性転換手術を受けていないトランス女性が女性トイレを利用するのも外形的には区別できませんし、性器の確認を厳格に行うことも事実上は困難です。この問題のケースは極めて多様なのです。
なお、他人を注意する前に「みんなが想像しやすい妄想を拡げることに慎重であるべき」なのは松尾氏自身と言えます。先述した防衛費問題に対するコメントこそ、妄想に終始しています(笑)。
個人ブログ「マスメディア報道のメソドロジー」にて、論理学や心理学の定義に基づいた、メディアの報道・政治家の議論における論理的誤謬などの問題点を指摘。「ひるおび」「報道ステーション」「NEWS23」「サンデーモーニング」などの具体的な放送内容や議員の答弁、記者の発言などを例示しての論理的な分析が話題を呼んでいる。記事の一部を言論プラットフォーム「アゴラ」にも転載中。