畠山氏が、「すべての国民が安心して生活できるよう留意する」という一文が修正案に入ったことを非難するのは、マイノリティがマジョリティの権利を侵すことを正当化する危険思想です。マイノリティは、必ずしもリベラリズムの正義における最も不遇な弱者とは限りません。
セクシュアリティのパターンを考えた場合、【格差原理】による合理的配慮が必要となる最も不遇な弱者は、トランス女性ではなく、肉体的・生理的な弱さを持つシス女性です。このようなリベラリズムに関する浅はかな勘違いこそが社会に不平等を生むのです。
そして、極めつけの疑問は、マイノリティの権利を無批判に擁護する畠山氏が、マイノリティ民族の人権を蹂躙する世界最大のマジョリティである中国を無理やり擁護し、その脅威を指摘することを「一面的」と批判したことです。こんな支離滅裂でバカバカしいダブスタはありません。
同性婚に必要なのは憲法改正
同性婚訴訟における5つの裁判体の判決が出揃ったことを受けて弁護士の三輪記子氏は次のような主張を展開しました。
三輪記子氏:同性婚訴訟の5つの地裁のうち4つで違憲または違憲状態という判決が出たことは非常に重い判断だ。これは何を意味するかと言うと「速やかに国会が同性婚の実現をしなければいけない」という司法からのかなり強いメッセージが出たと受け取るべきだ。一刻も早く立法府が動くべきだ。
ここで注意する必要があるのは、これらの判決はあくまでも「同性婚を認めないことは憲法24条2項に対して違憲」とするものです。
しかしながら、もし同性婚を認めれば「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し」とする憲法24条1項に対して違憲という判決が下されることは自明です。なぜなら、当時のソドミー法で同性愛が犯罪行為とされていた米国が主導した日本国憲法の「両性の同意」は、「男女の同意」という意味以外に考えられないからです。
もし、三輪氏が主張するように国会が同性婚を実現する法律を制定したら、それこそ明確な憲法遵守義務違反ということになります。
以上のことが何を意味するかと言うと「同性婚を認めないことは憲法24条2項に対して違憲である」と同時に「同性婚を認めることは憲法24条1項に対して違憲である」ということであり、憲法24条は明らかに矛盾しているということです。
つまり「国会が実現しなければいけない」のは、憲法24条の矛盾を解消するための憲法改正の発議であり、「同性婚の実現」ではありません。
実は、同性婚の最大の敵は政府でも自民党ではなく、護憲政党として憲法改正を認めない立憲共産党なのです。