武器を持って教会を襲撃、女性信者に手錠をかけ拉致
一方、こうしたバッシングのはるか以前から、信者たちに対する拉致監禁という許しがたい人権侵害が起きていた事実は、あまり知られていない。
1966年から2014年まで、後藤氏をはじめ4300人以上の信者たちが、有形力の行使によってマンションの一室などに閉じ込められ、外部との通信の自由、移動の自由を奪われたなかで棄教を迫られたのだ。基本的人権や信教の自由、内心の自由が憲法で保障されているこの国で、である。
あまり知られていないと書いたが、拉致監禁の実態はカルト宗教に詳しいルポライター、米本和広氏が2008年に著した『我らの不快な隣人』(情報センター出版局)で、初めて明らかになっている。米本氏はそれ以前にも、月刊誌でこの事実を報じている。しかし米本氏は、旧統一教会の霊感商法や正体隠しの伝道については強く批判しており、是々非々のスタンスだ。
最も多い年で375人もの信者が失踪した。1997年には、親族やキリスト教会関係者約20人が白昼、スタンガンや鎖、バールなどの武器を持って教会を襲い、なかにいた信者の女性に手錠をかけて拉致したすさまじい事件も起きている(鳥取教会襲撃事件)。
拉致監禁による被害者の多くは、脱会に応じない限り、何カ月、何年も解放されないため、説得に屈し棄教している。だが、後藤氏は強い信仰心があったため、棄教を拒んだ。それゆえ、彼は12年5カ月という長期の監禁を強いられたのだ。その間の後藤氏の絶望、焦燥、精神的苦痛は察して余りある。
一回目の監禁
後藤氏が旧統一教会に入信したのは、先に入信していた兄の勧めがあったからである。1986年のことだ。ちなみに、妹も同じくこの兄の勧めで入信した。
当時大学生だった後藤氏は、悲惨な事件や戦争が絶えない社会に心を痛め、一方で利己的な自分のことも好きになれず、悩み苦しんでいた。そんな時に出会った統一原理は彼に、一度は見失っていた人生の目的や価値を再認識させ、前向きに生きる指針となった。
ところが翌1987年は、折しも「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)が結成され、「朝日ジャーナル」が霊感商法批判のキャンペーンを大々的に始めた時期である。
後藤氏の両親は子供たちの入信を心配し、当時すでに脱会活動を行っていた宮村氏らに相談、まず兄が父母らにより拉致監禁され、その後、宮村氏らの脱会強要を受けて、数カ月後に兄は脱会した。このことを知らなかった後藤氏は同年10月、父から呼び出されるまま京王プラザホテルの一室に入ったところを監禁されてしまう。一回目の監禁だった――。
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