12月18日、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)前代表の飯塚繁雄さんが亡くなった。83歳だった。飯塚さんは拉致被害者田口八重子さんの長兄だ。初代家族会代表の横田滋さんの後を継いで2008年から14年間、家族会代表を勤めた。横田さんの代表在任期間は10年8カ月だったから、それよりも長い年月、拉致被害者を取り戻すための国民運動の先頭に立っていたことになる。
「諦めない」と最後の訴え
公開の場での最後の訴えが11月13日の国民大集会での主催者挨拶だった。6分ほどの挨拶の中で、飯塚さんは3回「諦めない」と語った。「拉致問題は今となっては諦めるわけにはいかないのです」「我々としては厳しい立場になりつつありますが、この問題は絶対に諦められないという思いを皆様方が背負っていただいて、何が何でも解決するんだという意気込みを頂きたいと思います」「我々が諦めないことこそ解決につながると感じます」。
この挨拶をした後、飯塚さんは集会を中座して帰宅した。約1週間後、体調悪化のため入院し、そのまま回復しなかった。妹を含む拉致被害者を救えないままの逝去、どれほど心残りだっただろうか。
拉致被害者横田めぐみさんの弟で、家族会代表を引き継いだ横田拓也さんはコメントを出し、拉致問題の解決は「一刻を争う」と訴えるとともに、「(飯塚さんの)遺志を受け継ぎ、全拉致被害者の即時一括帰国を実現するべく、原則論を曲げずに活動していく」と誓った。
横田めぐみさんの父、横田滋さん逝去の時もそうだったが、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)会長として共に戦ってきた私は、戦場で横に立っていた戦友が敵弾に当たって倒れたような感覚を持つ。飯塚さんは家族会代表として誠実に激務をこなしてくれた。本当にまじめな人柄だった。飯塚代表がいたからこそ、拉致被害者救出運動は多くの人に支持され、ここまでやってくることができたと実感している。
岸田首相は北に決断を迫れ
問題解決が遅れているために被害者本人と家族の高齢化が深刻化している。その意味で私たちは追い込まれている。しかし、このことは北朝鮮をも追い込んでいる。北朝鮮が望む日本からの経済支援は、大多数の日本国民の賛成が不可欠だ。そのためには、先頭に立って戦ってきた家族と被害者が抱き合うことが実現しなければならない。親の世代が亡くなった後、その子供たちを帰国させても、なぜ、もっと早く返さなかったのかと怒りの声が湧き出て、日朝関係は改善しようがない。岸田文雄政権はそれを北朝鮮に確実に伝え、「全拉致被害者の即時一括帰国」を決断せよと迫り続けてほしい。諦めるわけにはいかない。(2021.12.20国家基本問題研究所「今週の直言」より転載)