妨害を擁護した神奈川新聞の石橋編集委員
こうした問題がある条例案であるのに、武蔵野市の松下市長は急いで条例を成立させようとしている。だが、市民意見交換会の参加人数が少数であったように、武蔵野市在住の友人に聞いても、こんな条例案は知らないという人達が多数である。
松下市長らは、住民アンケートで賛成が多かったと主張しているが、この住民アンケートは2000人に聞いて回答はたったの509人。武蔵野市の人口が14万8千人であるから、わずか0.3%の住民の回答をもとに強硬に推進しているのだ。
こうしたことから今月7日に吉祥寺駅北口で「武蔵野市住民投票条例案の撤回を求める」街頭演説会が開催され、自民党武蔵野市議団、長島昭久衆院議員、そして私が参加したわけだが、私に演説をさせないようヤジやスピーカーでわめきちらし、声をかぶせてくる人達の妨害に遭った。その時の状況のひどさは、私のツイッターや、撮影した方が動画を公開しているので、見ていただければと思う。
そして、これらの動画のなかにも声が入っているが、一連の妨害活動に対し神奈川新聞の石橋学編集委員が「表現の自由だ」と声を上げ擁護した。
繰り返しになるが、これは政党活動や政治活動を力で阻止しようとする勢力を肯定するものであり、民主主義への冒涜であり重大な挑戦だ。石橋氏は神奈川新聞の編集委員である。
神奈川新聞は新聞社としてどう考えるのか。
ジャーナリストではなく活動家か
さらに、演説後、石橋編集委員に詰問調で、「心ない外国人がいるという外国人差別の発言をしたが」と質問されたが、私は「心ある外国人の方、地域が良くなればという」と発言しており、そういう方の話を聞くべきとの文脈での発言である。
心ある日本人も、ごみを道にポイ捨てするような心ない日本人もいる。
どこが差別発言なのだろうか。
私は石橋氏に対し、明確に「そのような発言はしていない。録音も取っている」と述べたが、神奈川新聞はこのように編集委員が取材相手に対し嘘の質問をし、恣意的に誘導するかのような取材手法を許容するのか。
政党活動や政治活動への妨害を擁護する行動を含め、石橋学編集委員の取材手法や行動について神奈川新聞はどう考えるのか、社として責任を持って対処すべきではないか。
石橋氏の行動はジャーナリズムでも何でもない。ジャーナリズム出身者として憤りを感じる。現場では、石橋氏は「記者でなく活動家だ」との声が飛んでいた。
武蔵野市住民投票条例案は、今月21日に市議会本会議で採決される見込みだ。あまりに拙速である。これだけ大きな問題は、市民へしっかり周知したうえ、慎重に熟議を重ねるべきであり、なぜ強行したいのかその意図が分からない。市民に慎重に判断してもらうことは何か困るのだろうか。押し通さなくてはならない理由でもあるのだろうか。
ぜひ、条例案撤回の輪を皆さんも広げていただきたい。