2人のキーパーソン
かつての検察の暗闘を思い出し、「ああ、変わらないなあ」と思いながら私は今回の検察庁法改正騒動を見ている。
人事をめぐる暗闘はどこの省庁にもあるが、特に凄いのは警察や検察といった「捜査」組織だ。言ってみれば“男っぽい”役所で、人事抗争も派手で重量級。平成初め頃までは、よく警察では怪文書がマスコミに送りつけられて対抗馬を潰しあう暗闘があった。
例えば、三井脩と下稲葉耕吉が争った肥後・薩摩戦争や、城内康光警察庁長官が強引に行なった“城内人事”で不協和音が沈殿し、何年にも亘った怨念抗争やら、挙げ出したらきりがない。
検察も同じだ。“赤レンガ派”と呼ばれた根来泰周(ねごろやすちか)と、かつてロッキード事件を手掛けた吉永祐介やそれに続く土肥孝治ら“現場派”との検事総長をめぐる闘いはマスコミを巻き込んだ熾烈な情報戦に発展したものである。
今回、内閣と法務・検察が入りくんで起きている暗闘は、いくつもの糸が絡まって何年もかけて続いてきたものだ。そのため本質が見えにくくなっているので解説したい。
問題は、黒川弘務・東京高検検事長と林真琴・名古屋高検検事長という“たまたま”検事総長を担うべき有為な人材が同期(共に東大法学部卒・司法修習35期)に2人いたことから始まる。そこに政治家が何人も入り乱れて「問題を複雑にしている」のである。
第一に絡んできている政治家は、菅義偉官房長官だ。内閣人事局で各省庁の幹部およそ600人の霞が関人事を一手に握っている。もう1人のキーパーソンは上川陽子元法相。この2人が政界での登場人物である。
さて、今回の黒川検事長の定年延長問題は、検察庁法改正とは直接的関係はない。法律は2022年4月の施行であり、国民に疑念を抱かせ、これを「政局」にして安倍政権打倒を図ろうとする“いつもの”動きである。
「♯検察庁法改正案に抗議します」というSNSでの投稿を用いた手法で反響を呼んだが、これはおまけ。仮に年金支給年齢引き上げに応じて定年年齢を変える公務員改革から検察官だけが外されたら、それこそ検察官は我慢ならないだろう。それを頭において考えたい。
「林の勝利」で決着のはずが……
問題は、前述の黒川vs林という検事総長をめぐる同期激突の怨念である。この戦い、実は「林の勝利」で決着がついていた。
これに異変を生じさせたのは2018年当時の法相・上川陽子だ。上川は米ハーバード大学ケネディスクールで政治行政学修士号をとったことが自慢の人物である。彼女が法相として目指していた「国際仲裁センター」の日本誘致をめぐる計画に当時の林刑事局長が反対したことから問題が複雑になった。
怒った上川は林の事務次官昇格を認めず、菅官房長官を説得して名古屋高検検事長に“転出”させ、代わりに官房長だった黒川を事務次官に起用して「地位を逆転させた」のである。
最も順当とされる検事総長への道は、法務省刑事局長から事務次官、そこから東京高検検事長を経て検事総長就任というコースだ。稲田伸夫・現検事総長もその道を歩んだ。検察内部では当然、林が「それを歩む」と思われていただけに衝撃が走った。
法務・検察には、自分たちは特別という驕りがある。それが当時東京高検検事長だった稲田の怒りを生み、怨念の闘争へと発展していく。特に刑事局長を四年も務めながら次官になれなかった林の恨みは深かった。
「稲田も自分の後継である林を退けた官邸が許せない。それで2月に定年が来る黒川を検事総長に就かせないために自分が居座る戦術をとり、自身の昨年末の退任を拒否したわけです。50年ぶりに国連犯罪防止刑事司法会議が4月に日本で行われる予定だったことを理由に“私自身がホストとしての役割を担います”と居座った。それで黒川の定年延長問題が浮上したのです」(司法担当記者)
ある法務省OBの解説では、
「稲田検事総長が林を応援していたために今回の問題は大きくなりました。しかし、内閣人事局を牛耳る菅官房長官にも驕りがありますからね。両方の驕りが激突した結果、もつれにもつれてしまった。黒川は法務・検察の政界担当として人脈も広いし、実際に人あたりがいい。菅さんが黒川を気に入った理由はよくわかりますよ。
しかし、彼は10年ぶりに現職の国会議員を逮捕したIR汚職で陣頭指揮を執ったように“やる時はやる男”。懐柔なんかとても無理。別に黒川を定年延長してまで検事総長に据えても菅さんに何のメリットもありませんよ」
自分が推した菅原一秀経産相、河井克行法相が相次いで辞職に追い込まれ、今回も黒川への固執でミソをつけた菅官房長官。内閣人事局で「霞が関を支配したつもり」でいた驕りが手痛いシッペ返しを受ける前代未聞の“喜劇”を呼んでしまったのである。
(文中敬称略)