徴兵保険とは保険加入者が徴兵適齢で現役兵となったときや、志願兵や陸海軍学校の生徒となった場合に保険金が支払われるという仕組みで、入隊に関しての宴会や見送り、入営中の費用に使われました。
保険そのものの存在もさることながら、宴会や見送りは、祝う側、送り出す側ではなく「兵士や兵学校の生徒となった側」の負担で行われていたのかと目からうろこだった。
南方抑留者と若い女性をつなぐタピオカ
九段から少し離れた新宿にある「帰還者たちの記憶ミュージアム」については初めて知ることばかりだ。終戦後も海外に取り残された688万人の日本軍人・軍属・民間人の約九割が1949年までに帰還することになるが、その労苦は想像を絶するものがある。
シベリア抑留や満州からの引揚者については多少なりとも認識があるが、特に忘れられているのが著者の林氏の専門でもある南方からの帰還者たちについてだ。
なぜ「忘れられている」のか。林氏はシベリア抑留と比較し、資料が整理・把握されていないこと、南方はシベリアと違って日本の占領地だったために日本兵は被害者であると同時に加害者でもあったことから、語り口が複雑になったことなどを指摘する。
シンガポールの無人島・レンパン島に抑留された日本兵は「タピオカで飢えをしのいだ」という。今ではタピオカを使ったドリンクは若い女性に人気があり、その「味わわれ方」を思うと、隔世の感を覚えざるを得ない。
だが、タピオカという共通するものによって、「え、かつての日本兵も困窮の中でタピオカを食べていたのか…」と過去と現在がつながる感覚を媒介してくれるかもしれない。


