【読書亡羊】「情報軽視」という日本の宿痾をどう乗り越えるのか 松本修『あるスパイの告白――情報戦士かく戦えり』(東洋出版)

【読書亡羊】「情報軽視」という日本の宿痾をどう乗り越えるのか 松本修『あるスパイの告白――情報戦士かく戦えり』(東洋出版)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


「元スパイ」が憂う自衛隊の現場

検索すれば大方の情報にたどり着けるインターネット時代を経て、今や具体的な「文例」まで生成してくれるAI時代が到来している。このような時代の「能力」のあり方を提示する際に、「これからのAI時代を生きる人材に必要とされる能力は、『質問力』である」との文言が、教育関係やビジネス関係の書籍でも散見されるようになった。

AIは人間では不可能なくらい膨大な情報を瞬時に渉猟できるが、その情報をどのような角度で切り取り、まとめるかはユーザーの指示、つまり「質問」によるからだ。

だが、これは「AI時代」に至ってAIを使う多くの人に必要になった一方、実は以前からある特定の立場に立つ人間に必要とされる能力であり、にもかかわらず欠けているものだったことを知った。

それが松本修『あるスパイの告白――情報戦士かく戦えり』(東洋出版)だ。

松本氏は東西冷戦期の1980年に東京外国語大学中国語学科に入学し、卒業後、陸上自衛隊に入隊。調査学校(小平学校)と呼ばれる機関での教育課程を受け、情報部員としての自衛隊人生を送った。陸自から防衛省に移り、設置直後からの情報本部での勤務も経験している。

「スパイの告白」というタイトルは情報に関わる任務にあたってきたからこそのものだが、そのイメージはいわゆる「007」のようなものとは違う。本書の帯にも〈〝007のいない情報活動〟に関する記録〉とあるように、その活動は地道な情報収集(特にOSINT=公開情報の収集・分析)が中心だ。

そして冒頭の「質問力」は、自衛隊で言えば部隊の指揮を執る幕僚や将官に必要とされる能力であることがわかる。情報部員は、「とにかく何でも情報を上げてくれ」と言われても対応できない。何を判断するための、どんな情報が欲しいのかという「入り口」がなければ、情報担当者は上に上げる情報を絞り込むことができない。つまり、指揮官には「質問力」が必要となるのである。

あるスパイの告白―情報戦士かく戦えり

自衛隊組織だけでなく日本の宿痾か

〈「良い情報要求を出す指揮官こそ、真の情報マンを創造する原点だ」――ある自衛官将校が私に与えてくれた言葉である。「情報要求」は、情報活動の端緒であり、情報活動を動かすカギである〉と松本氏は言う。

置き換えれば、情報部員はそれぞれの専門分野で情報を蓄積・収集する能力を持つAIであり、指揮官はそれを使って的確な回答や判断を導き出すユーザーとなる。

もちろん情報部員は人間なので、指示が不明確でも空気や状況を読んで相応の情報や分析を出すことはできるかもしれない。だが、良い質問ができなければ、出された情報が、自分が下そうとしている判断に資するものなのかどうかを判別することもできないのだ。

〈誰もみな、情報を重要というが、誰も情報を重視していない〉

松本氏は、情報活動にかかわった25年間の結論としてこう述べている。そしてそれはセクショナリズムが依然として根強く残っていた自衛隊という組織だけの問題ではなく、日本人の宿痾であるとも指摘するのだ。

関連するキーワード


読書亡羊 書評 梶原麻衣子

関連する投稿


【読書亡羊】ウクライナの奮闘が台湾を救う理由とは  謝長廷『台湾「駐日大使」秘話』(産経新聞出版)|梶原麻衣子

【読書亡羊】ウクライナの奮闘が台湾を救う理由とは 謝長廷『台湾「駐日大使」秘話』(産経新聞出版)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】雑誌「冬の時代」が過ぎて春が来る?  永田大輔・近藤和都(編著)『雑誌利用のメディア社会学』(ナカニシヤ出版)|梶原麻衣子

【読書亡羊】雑誌「冬の時代」が過ぎて春が来る? 永田大輔・近藤和都(編著)『雑誌利用のメディア社会学』(ナカニシヤ出版)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】世直し系YouTuberは現代の鼠小僧なのか  肥沼和之『炎上系ユーチューバー』(幻冬舎新書)|梶原麻衣子

【読書亡羊】世直し系YouTuberは現代の鼠小僧なのか 肥沼和之『炎上系ユーチューバー』(幻冬舎新書)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】戦後80年目の夏に考えるべき「戦争」とは  カルロ・マサラ『もしロシアがウクライナに勝ったら』(早川書房)|梶原麻衣子

【読書亡羊】戦後80年目の夏に考えるべき「戦争」とは カルロ・マサラ『もしロシアがウクライナに勝ったら』(早川書房)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】「戦争が起きる二つのメカニズム」を知っていますか  千々和泰明『世界の力関係がわかる本』(ちくまプリマー新書)|梶原麻衣子

【読書亡羊】「戦争が起きる二つのメカニズム」を知っていますか 千々和泰明『世界の力関係がわかる本』(ちくまプリマー新書)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


最新の投稿


「自動車王」も「英雄」も見事にはまった“陰謀論”|松崎いたる

「自動車王」も「英雄」も見事にはまった“陰謀論”|松崎いたる

「単なるデタラメと違うのは、多くの人にとって重大な関心事が実際に起きており、その原因について、一見もっともらしい『説得力』のある説明がされることである」――あの偉人たちもはまってしまった危険な誘惑の世界。その原型をたどると……。


埼玉クルド人問題から見えた自壊する自民党と躍進する参政党|石井孝明【2025年10月号】

埼玉クルド人問題から見えた自壊する自民党と躍進する参政党|石井孝明【2025年10月号】

月刊Hanada2025年10月号に掲載の『埼玉クルド人問題から見えた自壊する自民党と躍進する参政党|石井孝明【2025年10月号】』の内容をAIを使って要約・紹介。


【独占手記】我、かく戦えり|杉田水脈【2025年10月号】

【独占手記】我、かく戦えり|杉田水脈【2025年10月号】

月刊Hanada2025年10月号に掲載の『【独占手記】我、かく戦えり|杉田水脈【2025年10月号】』の内容をAIを使って要約・紹介。


【読書亡羊】ウクライナの奮闘が台湾を救う理由とは  謝長廷『台湾「駐日大使」秘話』(産経新聞出版)|梶原麻衣子

【読書亡羊】ウクライナの奮闘が台湾を救う理由とは 謝長廷『台湾「駐日大使」秘話』(産経新聞出版)|梶原麻衣子

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


TBS報道特集の「差別報道」|藤原かずえ【2025年10月号】

TBS報道特集の「差別報道」|藤原かずえ【2025年10月号】

月刊Hanada2025年10月号に掲載の『TBS報道特集の「差別報道」|藤原かずえ【2025年10月号】』の内容をAIを使って要約・紹介。