【読書亡羊】「ガチの事態」が起きたからこそやってきた「専門家の時代」  川島真・鈴木絢女・小泉悠編著、池内恵監修『ユーラシアの自画像』(PHP)

【読書亡羊】「ガチの事態」が起きたからこそやってきた「専門家の時代」 川島真・鈴木絢女・小泉悠編著、池内恵監修『ユーラシアの自画像』(PHP)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする2023年最後の時事書評!


認知戦における中国の「弱点」とは

また、本書では保守派であれば関心が高く、「結構知っている」国である中国・香港・台湾・北朝鮮を巡る本書の論説を読めば、いかに自分が「全然知らないか」を突きつけられることになる。

なぜ北朝鮮がこうもロシアを支持するのかを解説した第4章(宮本悟「北朝鮮の世界観から見た世界の対立」)を読めば、「北がロシア寄りなんてあたりまえじゃないか」の認識も覆るに違いない。そもそも中露ともに西側(アメリカ)に接近していた時期があり、その当時の北朝鮮の反米姿勢は文字通りの「孤軍奮闘」だったからだ。

あるいは、中国がロシアによるウクライナ侵攻をどう見ているか、を分析した第10章(鈴木隆「『お仲間』の政治学――中国のロシア研究とロシア・ウクライナ戦争の『教訓』」)では、多数の中国語文献を参照。ウクライナ侵攻が起きてから「中国はロシアに学ぶ」「ウクライナの教訓を台湾で活用するつもりだ」とざっくり語られるこの辺りの話を、より個別具体的に知ることができる。

「ロシアは今回、認知戦の領域で敗北を喫している」が、その理由を中国は「西側が自らの民主主義や自由主義を喧伝するのを控え、『事実調査確定(fact-check)の世論戦』を実行したことによる」と分析している。こうした認識は、台湾有事で中国が仕掛けるであろう認知戦を防ぐうえで、重要な指摘である。

専門知は、もういらないのか

政治・外交は「総合芸術」

こうした知見は、本来、日々の生活で切実に求められるものではない。読者にとって、専門家の文章や意見は時に迂遠であり、「それが一体、今を考えるうえで何の役に立つのか」と疑問に思うこともあるだろう。

しかし、外交や政治はいわば「総合芸術」であり、歴史や文化はもちろん、ありとあらゆる側面から検証した情報を集めたうえで、何をどうすべきかが判断される。本書が取り組んでいるのはまさに、総合芸術である日本の外交において、正確な判断を下すための下地作りなのだ(この本の元になった研究会は、外務省の外交・安全保障調査研究事業補助金の助成を受けているのもそうした理由からだろう)。

2023年の年末を生きる我々は、この一年あまりでウクライナやガザ地区で起きているような、そして台湾で起きるかもしれないような「ガチの事態」を前にしては、やはり専門家でなければ状況の解説さえ担うことができないのだと、国際情勢の悪化で嫌というほど思い知らされることにもなった。

これまで「リベラル(左派)だから」と括られてきた朝日新聞やNHKにも、軍事の専門家や自衛隊OB、防衛研究所の職員が頻繁に登場することになったのも、その証左だろう。

そうした専門家の一人で本誌にも登場した、東大先端研で准教授になった小泉悠氏も、最終章でロシア・ウクライナ戦争に関する論考を寄せている。

現実に事が起きると、これまでの右左の枠を超えて、過去の経緯と現状を深く理解し、一般視聴者に解説できる能力を持つ人が発信者になるという当然の現象が起きたのである。

ウェブメディア全盛で「誰でも発信者になれる」ようになったことは確かだが、そこからさらに一歩、フェーズが変わったのが現在だ。それこそが「専門家の時代」の到来である。もちろん、専門家でも間違えることはあるわけだが、ならば非専門家ならなおさらというほかない。

関連する投稿


【読書亡羊】初めて投票した時のことを覚えていますか? マイケル・ブルーター、サラ・ハリソン著『投票の政治心理学』(みすず書房)

【読書亡羊】初めて投票した時のことを覚えていますか? マイケル・ブルーター、サラ・ハリソン著『投票の政治心理学』(みすず書房)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】トランプ陣営も「これ」で献金を巻き上げた⁉ ハリー・ブリヌル著『ダークパターン』(BNN)

【読書亡羊】トランプ陣営も「これ」で献金を巻き上げた⁉ ハリー・ブリヌル著『ダークパターン』(BNN)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】世界には「反移民で親LGBT」「愛国的環境保護派」が存在する  中井遼『ナショナリズムと政治意識』(光文社新書)

【読書亡羊】世界には「反移民で親LGBT」「愛国的環境保護派」が存在する  中井遼『ナショナリズムと政治意識』(光文社新書)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】本当は怖いモディ首相の「寝てない自慢」と「熱い胸板自慢」  湊一樹『「モディ化」するインド』(中公選書)

【読書亡羊】本当は怖いモディ首相の「寝てない自慢」と「熱い胸板自慢」 湊一樹『「モディ化」するインド』(中公選書)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【読書亡羊】それでもツイッターは踊る  津田正太郎『ネットはなぜいつも揉めているのか』(ちくまプリマー新書)

【読書亡羊】それでもツイッターは踊る 津田正太郎『ネットはなぜいつも揉めているのか』(ちくまプリマー新書)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


最新の投稿


【読書亡羊】初めて投票した時のことを覚えていますか? マイケル・ブルーター、サラ・ハリソン著『投票の政治心理学』(みすず書房)

【読書亡羊】初めて投票した時のことを覚えていますか? マイケル・ブルーター、サラ・ハリソン著『投票の政治心理学』(みすず書房)

その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


【今週のサンモニ】暴力を正当化し国民を分断する病的な番組|藤原かずえ

【今週のサンモニ】暴力を正当化し国民を分断する病的な番組|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。


正常脳を切除、禁忌の処置で死亡!京都第一赤十字病院医療事故隠蔽事件 「12人死亡」の新事実|長谷川学

正常脳を切除、禁忌の処置で死亡!京都第一赤十字病院医療事故隠蔽事件 「12人死亡」の新事実|長谷川学

正常脳を切除、禁忌の処置で死亡――なぜ耳を疑う医療事故が相次いで起きているのか。その実態から浮かびあがってきた驚くべき杜撰さと隠蔽体質。ジャーナリストの長谷川学氏が執念の取材で事件の真相を暴く。いま「白い巨塔」で何が起きているのか。


トランプ前大統領暗殺未遂と政治家の命を軽視する日本のマスメディア|和田政宗

トランプ前大統領暗殺未遂と政治家の命を軽視する日本のマスメディア|和田政宗

7月13日、トランプ前大統領の暗殺未遂事件が起きた。一昨年の安倍晋三元総理暗殺事件のときもそうだったが、政治家の命を軽視するような発言が日本社会において相次いでいる――。


【今週のサンモニ】テロよりもトランプを警戒する「サンモニ」|藤原かずえ

【今週のサンモニ】テロよりもトランプを警戒する「サンモニ」|藤原かずえ

『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。