宮本顕治の妻・宮本百合子の優生思想
宮本百合子氏(『昭和文学全集8巻』より)
こうした共産党内の優生思想は、宮本百合子にまでさかのぼることができる。百合子はのちに宮本顕治と結婚する作家である。 戦前から左翼の女流作家として有名だった百合子は、苅田アサノら、女性共産党議員にも大きな影響力があった。
百合子はソ連旅行の見聞記である「ソヴェト・ロシアの素顔」(1931年)の中で、「優生学、ユーゼニックスは非常に社会的問題として注意深く扱われている。第一ソヴェトは昔から肺病の率が非常に多い。それから性病患者も勿論あって、そういうものに対して優生学から子供を、次の時代を改善して行くということは非常に熱心にやっている」と書いている。
また百合子は「私は、変質者、中毒患者、悪疾な病人等の断種は、実際から見て、この世の悲劇を減らす役に立つと信じる一人である」(「花のたより」1935年)とも宣言するほど優生思想に染まっていた。
いまでこそ共産党は「優生思想はナチスから始まった」と喧伝しているが、これも大間違いだ。優生思想や優生学は元々、イギリス社会主義と進化論を結びつけた社会ダーウィニズムが端緒で、これがアメリカに渡った後、世界中に急速に広がった。ドイツでもナチス政権以前にすでに広がっており、ナチスはこれを利用したということになる。そして百合子の評論にもあるとおりソ連においても優生学が大いに推進された。断種による人類改造の思想は全体主義や社会主義との親和性があったのだ。
宮本百合子を絶賛する志位氏
志位氏は百合子について「戦争非協力を貫き検挙、投獄、執筆禁止など絶えず迫害を受けながら日本共産党に所属する人民的作家として苦闘した」(2022年9月17日「党創立100周年記念講演会」)などと今でも大絶賛し、現代の共産党員たちの精神的支柱にしようとさえしている。しかし現実をみれば、優生思想を社会をおおもとから変える最新の「科学」として取り入れ、共産党内に広げたのは百合子によるところが大きい。
『百年』史は、こうした歴史的経緯をまったく無視したまま「重大な誤りをおかしました」とだけ書いたが、これでは何の反省にもならない。
『日本共産党の百年』は、今年(2023年)10月に単行本として書籍化されるそうだ。議事録を読み間違えたまま本にすれば、恥の上塗りになるだけだ。それだけではない。歴史の事実を塗りつぶした党史を出版すれば、党そのものが消滅した後も、日本の政治史の汚点として永久に残されることになる。