前提から結論を論理的に導かない
藪中三十二氏:米国がキャンプデイヴィッドで日米韓のサミットを対決モードでやろうと。対決モードは抑止力では大事だが、日本はそれだけでいいのか。単に対決だけではなく、北朝鮮の非核化について日本は知恵を出して米にもアイデアを出すと。
いつも日本に軍事ではなく外交するよう求める藪中氏ですが、外交に必要不可欠な説得力のある「知恵」「アイデア」については具体的に示すことはありません。これでは無責任に「ホームラン打て」のサインを打者に出し続けているのと変わりません。
また、外交は基本的に不可視なので、日本政府が外交をしていないかのように決めつけるのも乱暴です。外交については、三輪氏も次のように日本政府に求めています。
三輪記子氏:抑止力一辺倒ではない外交が求められている。私自身も不安を煽られる一市民だと思う。なんで不安を煽られるかと思うと、知らないことが多すぎる。そういう時に二者択一の思考に陥ってしまうことを自分自身で危険に感じる。
だからいろんな選択肢があって、もっとしたたかに柔軟にやっていくことを自分自身も常に思っていなければいけないし、そういう対応を政府にも求めたい。
「自分は無知なので二者択一に陥る。だからもっとしたたかに柔軟な対応を政府に求めたい」という論証は、前提から結論を論理的に導いていない【non sequitur】という誤謬です。
一般に世界各国の政府は、三輪氏とは異なり、専門家の集まりであり、二者択一の思考に陥ることなどなく、常にしたたかに柔軟に他国から譲歩を引き出すよう行動しています。当然のことながら、各国の政府は、抑止力一辺倒などということはなく、抑止力を外交の延長として使っています。
クラウゼヴィッツ『戦争論』でよく知られているように「戦争は外交の延長」なのです。『サンデーモーニング』のコメントを聞いていると、軍事とは無関係な非軍事的な交渉であるかのように外交を捉えていますが、実際には、トーマス・シェリング『紛争の戦略』『軍備と影響力』に示されているように、軍事力という【強制力】による【威嚇】を前提とした上で、自らを拘束する様々な【コミットメント】を【戦術】として使って【戦略】のゲームを支配するのが外交です。