【読書亡羊】いつの間にかロシアの宣伝マンになっている! 諜報国家・ロシアの思考回路とは  保坂三四郎著『諜報国家ロシア』(中公新書)

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その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする時事書評!


ロシアが考える「もう一つの現実」

それにしても驚くのは、ロシアを覆う「相互不信」の深さと同時に、人間心理の理解の深さである。

ソ連・ロシアの工作手法であるアクティブメジャーズ(敵対者のイメージを失墜させ、自国の影響力を強化する取り組み)や反射統制(相手が自発的にこちらが望む言動を行うよう、与える情報をコントロールする)はこれまでにも専門書が刊行されている(『アクティブ・メジャーズ: 情報戦争の百年秘史』作品社、『ロシアの情報兵器としての反射統制の理論』五月書房新社など)。

だが本書を読むと改めて、ロシアが「人間の感情の、どこをどう刺激すれば意のままに動かせるのか」を徹底して考え抜き、実行しているか、が読み取れる。

そしてロシアが考える「現実」とは、客観的事実によって構成されるのではなく「人々がどう思っているか」によって構築されている、という解釈に基づく点も見逃せない。

現実がロシアにとって都合の悪いものであるならば、偽情報を流し、人々の認知を捻じ曲げることで、あたかもロシアが望む現実こそが目の前にあるかのように振舞うことで、「そう認識する人」を増やしていく。

現実はひっくり返らなくても、人々の脳内の認知は少しずつ非現実と置き換わっていく。インターネットは、まさにこうした認知の置き換えに有用な武器と化している。

本書はこうした情報戦、認知戦の実態を詳細に解説しており、特に第三章、第四章は、政治やメディアにかかわる人間が読んでおかなければならない指摘にあふれているのだ。

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人間の脳を支配するロシアの「罪」

「この内容が、新書で、1000円程度で読めるなんて!」と感激するほど濃密な、ロシアの「世界観」の構築の仕方、諜報国家としての来歴を紹介する本書は、ロシアの手口を知ることで〈ウィルスに対する免疫力を養う〉役割をも果たす。

ネットを通じてロシアの工作が誰に対しても行われるようになった今、免疫力はすべての人々に必要な要素となった。ロシアが手がけるフェイクニュースや偽情報の発信、フェイスブックなどSNSでの偽アカウントなどの手法は2016年の米大統領選以降、明るみに出てはいるが、それでも「ロシア発の情報」にいいように踊らされている人たちは少なくない。

「欧米はそう主張するが、ロシアの主張はそうではない」「ロシアを悪とし、ウクライナや欧米を善とするのはおかしい。アメリカだって散々ろくでもないことをやってきた」……

こうした客観的視点を持つことは本来は重要だが、ことロシアに関するケースでは、重大な落とし穴になる。ロシアはそうした人間心理を狙って情報戦を仕掛けているからだ。

何より、ロシアがメディアやインターネットを通じて世界中にばらまいた「事実よりも(現実がそうであると信じ込ませるための偽の)物語こそが重要である」という毒は、当然、日本にも多大な影響を及ぼしている。そしてその毒が回っているか否かは親露的であるかどうかで測られるのではなく、事実に対する姿勢によって判断される。

ロシアからすれば自国の体制を維持し、有利な状況を作り出すためにやったことだが、「事実とナラティブの境界をあいまいにしたこと」は、現在進行中のウクライナ侵略と同様に、人類史上におけるロシア最大の罪と言っても過言ではない。

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