共産党の「変節」を追う
党首公選制と並んで、本書が日本共産党と志位委員長に突きつけているのが「自衛隊と憲法9条」のあり方だ。むしろこちらの方が、共産党にとっては痛手となった可能性もある。
本書の安保政策はかねて松竹氏が提案し続けてきたものがベースになっているが、ここへきて安全保障環境に対する国民の危機意識が高まっており、「9条護持」「軍拡ではなく外交!」の掛け声だけでは事態に対処できないことが露呈しているためだ。
本書では、共産党の安保議論も振り返ることができる。松竹氏が入党した1974年、共産党は「中立自衛」を掲げており、9条についても「自衛権の行使にあらかじめ大きな制約を加えたものであり、憲法の恒久平和の原則をつらぬくうえでの制約ともなり得る」として、日米安保条約の破棄後、9条改憲も辞さないとしていた。
ところが1994年、共産党は「9条は共産主義の理想に合致している」として、180度転換。
それにより、共産党は「侵略されたらどうするんだ」という質問への回答に窮するようになった。その結果、現在の志位委員長の持論である「外交でなんとかする」一辺倒になってしまったのだ。
さすが元共産党・政策委員会の安保・外交部長だけあって、この辺りのツッコミの鋭さは際立っている。
加えて、松竹氏は2005年に党の月刊誌に寄せた「自衛隊と9条」に関する論文で志位委員長から「共産党の立場から大きく逸脱している」と批判され、自己批判文書の掲載を迫られ、処分こそなかったものの、その後、松竹氏は退職したという経緯がある。ツッコミの切っ先が鋭くなるのも当然だ。
もちろん、改憲派からすれば松竹氏の言う「改憲ナシの自衛隊と9条の並立」には乗れないし、本書で詳述している抑止力に対するスタンスも相容れない。それでも、「当面は自衛隊を使うが、最終的には解体する」と嘯く共産党の現執行部と比べれば、現実に即した安全保障議論ができる。
そして松竹氏がなぜ、共産党に現実に即した安全保障論、自衛隊論、憲法論を望むかと言えば、その先に野党共闘を見ているからだ。つまり、松竹氏の提案を共産党が拒絶し、より「純潔路線」に行けば行くほど、野党共闘は遠のき、自民党に利する形になる。
松竹氏の除名処分は「党内プロセスを経ずに党首公選制をぶち上げ、党を攻撃した」ことが第一に挙げられている。しかし、第二の理由として本書で「安保政策の転換を図らなければ野党共闘は不可能、と攻撃した」ことを挙げている(下記URL参照)。
やはり、安保政策と、それが現実的であるがゆえに野党共闘が遠のいている、という痛いところを突かれたことが大きいようだ。
「党に対する攻撃だ!」
さて、松竹氏の除名が公表されると、日本共産党の小池晃書記局長は会見で
「異論を述べたから処分したわけではない。異論を外から攻撃する形でやってきた(からだ)」
「党をしっかり守らないといけない。攻撃されたら」
と述べている。本書の内容や「党首公選制」の提案を「外からの攻撃」とするのは、あまりに狭量ではないか。
すでにリベラル派とみられる有識者からも「残念」「提案を却下するにしてもオープンに議論したうえでなら、共産党のイメージアップに資したのではないか」との批判の声が漏れている。「当然の処分だ」と言わんばかりの共産党議員のツイートとは実に対照的だ。
こつこつと、朝もはよから『しんぶん赤旗』を配り歩き、なけなしの党費を納めている党員らは、この一党員に対する党の仕打ちをどう受け止めているだろうか。
何よりつらいのは、共産党・志位委員長の「武力攻撃を受けそうになっても、外交でなんとかします!」と言ってきたこととの言行不一致だろう。国内・党内でさえ対話を実現できない政党に、外交を任せられるわけがないのだ。