安倍総理の周りには常に笑顔が絶えなかった
安倍晋三元総理がお亡くなりになり1週間以上が経つが、あの事件は全くの夢であり、安倍元総理は生きていていつも通り見守ってくれているとの感覚がある。心も頭の中もいまだに整理がついていない。
参院選の応援活動を終えた翌日、投開票日である10日(日)朝、私は安倍元総理のご自宅前に伺い手を合わせた。これまでのご指導に感謝の思いで合掌するとともに、突然命を奪われたことについて、ご冥福を祈るというよりただただ手を合わせるのみであった。
そして翌11日(月)、通夜に伺い焼香させていただいた。弔問の方々へ安倍元総理のご家族の方々が立礼されていたが、昭恵夫人に弔意をお伝えしたところ、ある言葉をいただき、涙が噴き出した。安倍元総理と昭恵夫人の思いが詰まった言葉に、私は号泣しながら増上寺を後にし、「安倍元総理の遺志を必ず引き継ぐ」と心から決意した。
翌日の12(火)には、安倍元総理が銃撃された現場である奈良県の大和西大寺駅前に行き、手を合わせた。安倍元総理のことを思い返すたびに、安倍元総理の優しさと気遣いの姿がまぶたに浮かぶ。真に相手のことを考える、とても優しい方だった。
安倍総理には、私が議員となって3年目あたりから近しくご指導いただくようになった。もともと昭恵夫人が東日本大震災の被災地に通い復興支援活動をしてくださっていたご縁もあるが、安倍総理の周りの方々が私のことを評価してくださり、安倍総理から面会のお声掛けがあったことから始まった。総理のお住まいである首相公邸や自宅でご指導いただく時間は有難く、心から楽しい時間だった。
安倍総理はお酒を少ししか飲まれないので、例えば夜の時間帯でもワインのグラス一杯を少し口につける程度だったが、昭恵夫人がいらっしゃらない時は、総理自ら冷蔵庫からワインやおつまみを取り出してもてなしてくださった。
「私がお出しします」と言っても、「和田さんは座っていてください」と自らでご用意され、偉大な政治家である安倍総理にそこまでしていただくことに大変恐縮したことを思い出す。会話でも、人が笑顔になるような楽しいエピソードやお話がお好きで、安倍総理の周りには常に笑顔が絶えなかった。
だからこそ、アメリカのトランプ大統領をはじめ外国の首脳からも好かれたのだと思う。
事実を無視した異常なモリカケ報道
私は安倍総理ご夫妻にかなり近くでご指導いただいていたことから、その苦悩も感じてきた。特に、森友問題、加計学園の獣医学部新設については、全く安倍総理も昭恵夫人も関与していないのに、さも関与しているかのような根拠なきメディアや野党の追及に対して、しっかりと事実を説明しているのになぜこうなるのかという思いがあったことと思う。
私は事実に基づきメディアに反論した。例えば森友学園の小学校設置趣意書の黒塗り部分が「安倍晋三記念小学校」だと言われてきたことに対しては開示を求め続け、財務省が開示してみれば「開成小学校」だったという、疑惑にもならないことを疑惑だと追及されてきたことを明らかにした。
あの時は安倍総理に全部罪をかぶせてしまえば良いという流れがメディアを中心にあったので、安倍総理を守らなければ本当におかしなことになってしまうという危惧から行動した。私の行動については、安倍総理ご夫妻から何かを聞いたわけではないが、周りの方々から安倍総理ご夫妻のお気持ちをお伝えいただいたこともあった。
安倍総理は一昨年、持病の悪化から総理を退任することとなったが、総理退任後半月ほどで体力は回復され、その直後には総理に近しいごく少数の仲間内で会食させていただいた。一緒に参加された方から、「安倍総理から会が終わった後にお電話があり、和田さんの成長ぶりを喜んでいましたよ」との話があり、なお一層政治家として成長していかなければならないと強く決意したことがついこの前のように感じる。
このように、まだまだご指導いただきたかった安倍元総理が凶弾に倒れた。安倍総理の無念を思うと本当に悔しくてたまらない。