中国を経済膨張に導くレールに
思えば、20年前の9月は日本にとっても運命の月だった。同月11日の米中枢同時テロ後、間もなく、米国は対中強硬路線を全面転換し、こともあろうに共産党独裁の強権が経済を支配する中国を自由貿易クラブである世界貿易機関(WTO)への仲間入りを認めた。
しかも米国は中国人民元の対ドル固定制を受け入れ、モノとカネで中国を経済膨張に導くレールを提供し、日本はひたすら中国市場にどっぷりと浸かっていく。
2001年1月に発足したブッシュ(子)政権は、のっけから中国を「戦略的競争相手国」とみなし、「戦略的パートナー」と呼んだクリントン前政権の親中路線を断ち切った。日本では同年四月に小泉純一郎政権が発足していた。
拙論の当時の米国取材メモを紹介しよう。ホワイトハウス高官は、「小泉改革を全面的に支援する。中国の脅威に備え日本経済を強くしたいからだ」と意気込む。
米軍の電子偵察機が中国の海南島周辺で中国軍戦闘機と空中衝突した「海南島事件」が四月一日に起き、米中関係緊迫の最中だった。別のホワイトハウス筋は、「江沢民主席は、しきりにブッシュ大統領と連絡をとりたがるのだが、大統領はそのつど受話器を取り上げるなと拒絶している」と言っていた。
ほどなく政権内の中国市場重視派が巻き返し、ドラマは急転回し始める。オニール財務長官は2001年9月10日、北京の人民大会堂で江沢民国家主席、項懐誠財政相(いずれも当時)と会談した。「9・11」前日だ。米議会では、米ドルにペッグ(釘付け)している人民元相場に対する反発が渦巻いている。
項財政相は、「人民元は変動するとしてもちょっとだけにしたい」と陳情。オニール長官は内心、「しょせん中国はまだ統制経済だ。市場資本主義の力にまかせると中国は崩壊してしまう」と考えた。オニール長官と江沢民主席は口をそろえた。
「辛抱しましょう、そして一緒にやりましょう」と(以上は、オニール長官の回想記『忠誠の代償』原書から)。
脱中国で日本再興に踏み出せ
中国が人民元の小幅切り上げと小刻みな管理変動に踏み切ったのは2005年7月だが、北京は六月末にオニール氏後任のスノー財務長官に事前に知らせて根回しした。
長官はグリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長とともに米議会の対中強硬派議員たちに会い、人民元改革案を受け入れさせた。
国際貿易で中国の地位を圧倒的に高めたのは無論、WTO加盟である。ブッシュ政権はクリントン前政権が行った中国のWTO加盟交渉を中断させていたが、「9・11」を機に態度を軟化させた。
対テロ対策で中国との協調を迫られたからだ。九月十七日にはWTOの中国作業部会の合意文書が採択され、十一月のWTO閣僚会議で加盟が正式承認された。
9・11はニューヨーク金融市場をも大きく変えた。当時、情報技術(IT)バブル崩壊の後遺症に苦しんでいた市場がテロ攻撃の追い討ちを食らった。FRBのグリーンスパン議長とブッシュ政権は、米経済を牽引するのは住宅市場と見込んで住宅関連の金融の拡大策をとった。
そこで低所得者向けを含めた住宅ローンが活気づき、住宅ローン証券化商品が爆発的に増加。価格が上昇する住宅を担保にした借金を元手に家計消費を刺激していく。
中国は米国のおかげで、カネ(人民元)とモノ(貿易)両面でグローバル市場に深く食い込むことに成功した。2001年以降、米市場向けを中心に輸出を拡大させ、二桁台の高度成長軌道に乗せた。
2008年9月に米国でリーマンショックが起きると、中国は米国債の購入拡大を米国に約束する代わりに、人民元の対ドル・ペッグ制を復活、対米を中心に輸出を回復させ、経済を二桁成長軌道に回帰させた。
まさに焼け太りである。2020年、中国は武漢発の新型コロナウイルス禍を世界に伝播させたが、いち早く輸出増でプラス経済成長に戻した。
日本企業は、マイナス成長の国内を見限ってカネと技術を中国市場に投入、中国産業の底上げに大きく貢献してきた。
メディアは、9・11というと対岸の火事であるかのごとく、国際テロやアフガニスタンでの「米国史上最長の戦争」にもっぱら目を向けるが、実は日本の国力衰退と中国の脅威増長が同時進行する空白の20年間だった。国家危機の意識にさえ目覚めれば、脱中国による日本再興に踏み出せるのだ。
(初出:月刊『Hanada』2021年11月号)