戦場での超現実的な経験を説明するのに、「戦争の霧」という言葉が復員軍人によってしばしば使われる。戦闘を体験した人は、周囲の状況からの断絶感、方向感覚の消失、周りの出来事や時間の経過についての認識の喪失について語る。
戦勝国の米国にとって、第2次世界大戦の「戦争の霧」はずっと前に晴れた。一方、敗戦国の日本は長く「戦後の霧」に包まれてきた。「平和ボケ」という霧である。平和の理想を信じていれば全てうまくいくというこの考え方は日本人の心理に深く食い込み、広島、長崎、東京、大阪、福岡など多くの都市で民間人を焼き殺した戦争犯罪人の集団に自国の防衛を委ねた。
国民を目覚めさせる憲法改正
日本は比類なき邪悪な国であり、その暗い運命に自ら責任があるという考えは、まさに「戦後の霧」である。日米同盟は「価値観に基づく同盟」で「希望の同盟」だというフィクションも「戦後の霧」である。無防備の都市に2発の原爆を落としただけでなく、米国によって殺された人に祈りをささげるため靖国神社を訪れる日本人をさげすむ国と、日本はどんな価値観を共有するのだろうか。
日本は、降伏文書に他ならない戦後憲法をこれまでなぜ改正できなかったのだろうか。憲法がただの紙切れではなく、日本の「国体」を改ざんした記録文書だからだ。戦後憲法の意味は文言より奥深いところにあるので、断片的に変更することはできないのである。現憲法は銃剣で強制された押し付け憲法である。憲法のわずかな改正でも、それを試みることは「戦後の霧」から逃れることに等しい。
米占領軍の洗脳工作の魔術にかかった日本人が敗戦の惰眠をいまだにむさぼる中で、憲法改正は日本人を目覚めさせる。それは、無差別攻撃により平均的な日本の女性、子供、年寄りを恐怖に陥れた大国への従属という悪夢からの目覚めである。米国政府の人種差別主義と独善、日本の非アングロサクソン的歴史遺産と誇り高い宗教・文化的伝統への軽蔑こそ、現憲法の本質である。これも、紙とインクで具象化された「戦後の霧」だ。
出でよ、国益を知る指導者
日本の歴史の多くは米国により抹消された。しかし、歴史は回復できる。そして、歴史の真実を回復しようと努力する少数の勇気ある日本人研究者の英雄的な取り組みのおかげで、歴史は既に回復されつつある。
しかし、日本が忘れてならないのは、日本が誇りある強靭な国家であり、日本の利益が米国、欧州、国際機関、中国の利益と必ずしも一致しないことだ。日本の国益は、日本の国家、国民と、美しい過去、明るい未来を守ることにある。そして明るい未来は、日本を先導して「戦後の霧」から脱出させる指導者の出現にかかっている。(2021.08.16国家基本問題研究所「今週の直言」より転載)