井戸端会議レベルで教授が務まるのか
そのことをなんと自分自身がはっきりと言っているのである。すなわち「なぜ安倍政権の『女性活躍推進法』はダメかというと、動機が不純だからです」と。
動機──倫理学上の「動機」という意味で浜某が使っているわけではない。ごく単純に「原因」といった意味で使っている。仮にそれがどちらの意味であろうと、動機は、本人以外、だれも明白にし確定することなどできないではないか。そんなことは、若者風に「君の名は」流に言えば、〈前前前前前世紀から〉分っている。
にもかかわらず、動機が不純と断ずる。これはもう〈論〉ではなくて〈感情〉であり、井戸端会議でのペチャクチャ噂話の域。
安倍首相の所論を確めることもなく、動機を勝手に特定しての噂話のばらまき。こんなレベルの低い者が、学生に徹底的に論理性を鍛える大学院教授を勤めることができるのが不思議である。さしたる学識も見識もない教員に限って大話をしたがるものである。
古人曰く、狂夫(独り善がりの者)の楽しみは、智者 哀しむ。愚者の笑ふ所は、賢者 察ぶ(詳しく明らかにし批判する)、と。
*史記が依った『戦国策』趙策にこの文はない。『商君書』更法篇に似た文がある。
【古典の知恵】
狂夫の楽しみは、智者〔それを〕哀しむ。
愚者の笑ふ所は、賢者〔それを〕察ぶ。
『史記』趙世家