震災から15日後、私は世耕弘成議員(現参院幹事長)と世耕議員の知り合いの運送会社の人とともにトラックに乗り、被災地に物資を運びました。国会議員は国会にいる以上、政策を作りそれを実行することが仕事です。しかし、あの時はいてもたってもいられなかった。多くの議員が同じような気持ちだったと思います。被災地では大変な状況のなか、物資を運ぶ私たちを笑顔で迎えていただくなど、逆に私たちが勇気づけられました。
また、全電源喪失によって冷却機能を失った福島第一原発において、被曝の危険を承知のうえで多くの方々が自ら率先して作業に当たったことも忘れられません。 福島第一原発の作業員の方々をはじめ、駆け付けた警察官、自衛隊員、消防士らの雄姿は多くの国民に勇気と感動を与えました。津波襲来を前にして命懸けで地域住民の避難誘導に当たられた消防団員や自治体職員の姿も、いまもなお人々の記憶に留められています。
戦後、ともすれば価値の基準を全て損得で決めてきた世の中で、他者のために命を懸けるという姿は衝撃を与えずにはいられなかった。彼ら彼女らは命を懸けて守るべきものがあることを示しました。自分の損得を超える価値があることを、身をもって示してくださった。だからこそ、多くの国民に勇気と感動を与えたのだろうと思います。
戦後レジームからの脱却とは
「戦後レジームからの脱却とは命を懸けても守るべき価値の再認識でもあるのではないか」 私は創生日本という議員グループを立ち上げ、「戦後レジームからの脱却」ということについて、それまでも議論を重ねてきたのですが、あの時、同志の皆さんにこう申し上げました。
いわば55年政治体制のなかで推し進められてきた経済至上主義と損得を価値の基準に置く戦後精神との結合によって、少なくとも我々が守るべき価値とは何なのか、という柱が失われてきていた。だからこそ、私は第一次政権において教育基本法を改正したのです。
家族を尊び、郷土を愛し、日本に誇りを持つ教育を行うことこそ、国家繁栄の核心ではないか。大震災という大変な状況下において、自らの身は顧みず他者のために行動した多くの方々の雄姿は、これからも国民の胸に刻み続けられます。