忘れ得ぬ日
あの日、私は潰瘍性大腸炎の1年に二度の内視鏡検査を終え、一旦自宅へ戻り、議員会館へ向かおうと思った矢先でした。突然、大きな揺れに見舞われました。急いで会館に行くと、エレベーターは全て停止、階段で十二階の自室まで駆け上がり、次々と入ってくる津波の情報などに接し、事態の深刻さをまざまざと感じました。
平成23年(2011年)3月11日は、いまを生きる私たちにとって忘れ得ぬ日となりました。多くの尊い命が失われ、最愛のご家族やご親族、ご友人を失われた方々の喪失感は想像を絶します。そのお気持ちを思うと、いまなお哀惜の念に堪えません。ここに改めて、衷心より哀悼の意をささげます。また、被災された全ての方々に、心からお見舞いを申し上げます。
日本人の見事なまでの底力
1755年11月1日に発生したリスボン大震災によって栄華を誇っていたポルトガルは甚大な被害に見舞われ、その後の凋落の道を辿るきっかけとなりました。佐伯啓思京都大学名誉教授が指摘しているように、発災当日がキリスト教の祭日だったこともあり、キリスト教信仰に支えられていたヨーロッパ全土の価値観をも揺るがすほどの衝撃を与えたとされています。
「日本は坂道を転げ落ちるように貧乏な国になっていくのではないか」 東日本大震災直後、アメリカの元政府高官はこう述べました。 この大震災から日本がどう立ち上がることができるのか。日本はまさに分岐点に立っていたのだろうと思います。
そのようななかで、日本人は見事なまでの底力を発揮しました。 物不足のなかでも商店の襲撃などは皆無で、誰もが規律を守って行動し互いに助け合いました。被災者の冷静で秩序正しい、互いを思いやり協力し合う姿に、全世界の人々が驚嘆しました。本来、当たり前でなければならない真っ当な人間の姿を世界に示したのです。
震災当日の夜は、多くの皆さんと同様に私も歩いて自宅まで帰ったのですが、途中、コンビニエンスストアでトイレを借りた際、誰もが静かに整列し、買い物も淡々としておられるなど、冷静で秩序正しい日本人の姿を目の当たりにしました。