出典:泉佐野市ふるさと納税特設サイトより
新しいルールで過去を裁けるか
安堵した。日本は法治国家だったのだ。6月30日、最高裁は大阪府泉佐野市に、逆転勝訴の判決を言い渡した。ふるさと納税の新制度から除外されたことを不服として、泉佐野市が国を訴えていたものだ。
事の起こりは昨年6月。新ふるさと納税の指定制度が始まり、過去に高額な返礼品で多額の寄付を集めた泉佐野市ら4市が、指定から外された。泉佐野市は、過去の経緯をもって除外されたことは違法として、国と地方のトラブルを審査する国地方係争処理委員会に見直し審査を求めた。
委員会は総務省に「新制度の目的は過去の行為を罰することではない」とのコメントを付して、再検討を求める勧告を出したが、勧告は無視され除外の継続が決定された。
それを受けて泉佐野市は大阪高裁に提訴するが、今度は大阪高裁が「基準をつくる総務相には広い裁量がある」として請求を棄却。その判決が最高裁で裏返ったのだ。
目まぐるしい一年だった。そしてその間に、法や制度の佇まいが見えづらくなってきていた。まずは総務省が勧告に従わず除外の継続を決定した時のこと。次に大阪高裁が泉佐野市の訴えを退けた時のこと。
「なぜ新しくつくったルールで過去の行為を裁くことができるのか?」
素人ながらも大いに疑問を感じたものだった。
もしも仮に新しい建築基準法ができて、新基準に満たない建築が違法建築となったとしたら、いったいどうなるのか。法は施行以前に遡って適用されないのが原則ではなかったのか?
総務省は最高裁に宛てた答弁書の中で、「(不適切な募集で自治体間に不公平を招いたような泉佐野市が)指定を受けることになれば、他の地方団体の理解や納得を得られなくなる」制度に対する国民の理解も得られない、そんな自治体には資格がないことを繰り返し訴えていた。
全国紙が一斉に批難
多くのマスコミも、高額な返礼品で多額の寄付を集めていたとして泉佐野市を批判していた。しかし、寄付金集めの方法が行き過ぎていたか否かは常識の話で、問題は、法に照らして当事者の行為が妥当であったかどうかだ。
その点、最高裁の判決は「寄付金集めをエスカレートさせ、社会通念上の節度を欠くものであった」とした上で、「それでも過去の実績を理由に除外した国の対応は違法」と結論している。「法」と「常識」を明確に区分した考え方で、裁判官5人全員一致の意見であったという。
判決文が分かりやすかったことにも説得力があった。
一連のふるさと納税問題をめぐる、マスコミの報道には興味深いものがある。9月4日に係争処理委員会が勧告を出した後、それまであまり注目されてこなかったこの問題を、各紙が一斉に取り上げだした。
全国紙の社説は、「事実上の国の敗訴といえよう(産経)」「地方を力づくで従わせようとした手法を、国は素直に反省するべきだ(朝日)」「総務省の機関が総務省の決定に異を唱えた。異例の勧告であった(毎日)」「地方分権の旗振り役の総務省が分権の意味を忘れていたようだった(日経)」の書き出しで、激しく総務省を批判。地方紙も同様に国を批判しながら、多くが制度そのものの見直しを求めている。
10月4日に総務省が、勧告を無視して除外の継続を決定すると、今度も「勧告に向き合わない総務省(日経)」「地方分権の理念どこへ(朝日)」「制度維持ありきの強弁だ(毎日)」など、北から南まで全国の新聞が、さらに激しく総務省を批判。
「除外は裁量の範囲内で、地方財政法の規定にも沿っている」とした同省の主張に強い疑問を呈した。
11月1日。ついに泉佐野市は、除外の取り消しを求めて大阪高裁に高市早苗総務大臣を提訴する。
これだけの世論が形成された中だ。誰もが大阪高裁の判決は、国に厳しいものになると予想していた。
ところが、いざふたを開けてみると判決は、国の主張を全面的に認めたもので、泉佐野市に厳しい内容だった。
判決は、除外基準を作る総務省には「広い裁量」があると結論づけ、同市の返礼品は「突出して極端」で、その方法は「極めて不適切」と泉佐野市を厳しく批判している。