外国特派員協会での記者会見
レイプ犯の汚名を着た息子
7月8日に、山口敬之氏と伊藤詩織氏の民事裁判が東京地裁で行われた。その翌朝、熱海の海を見ながら山口氏が呟いた一言に、私は胸を衝かれた。
裁判のあと、私は氏を熱海のホテルに誘ったのだった。人生を賭けた裁判の疲労は並々ならなかっただろう。夜は私の妻も交え、裁判談義に始まっていつものように談論風発、その翌朝、山口氏は何やら茫洋とした表情で海を見ながら呟いたのだった。
「こうして熱海の海を見ていてふと思い出したのですが、うちの両親を連れた最後の旅で、実は伊豆山を訪れたんですよ。源頼朝ゆかりの地を巡り、政子との出会いの韮山まで足を延ばして。その時も、こうして熱海の海を見たなあと思って」
山口氏の父君は、この事件のショックから体を壊し、息子の無実を信じつつ、昨年亡くなっている。私も先年、父を亡くした。レイプ犯の汚名を着た息子が孤立するなかで、病重くなり続けた氏の父上のことを思う都度、私は何度いたたまれぬ思いにかられたことだろう。
が、この件に情実は、絶対あってはならない。
自身の仕事に忙殺され、裁判資料などを精査する時間的余裕が全くないなか、私は敢えて沈黙してきた。
私は山口氏を「信じる」という選択は、この件では全くするつもりはなかったし、してはならないと思っているからだ。
「性」は「殺人」とともに、最も暗い人間の情熱であり、その快楽は暴力性と最も近接する。「恐怖」と「暴力」と「強い快感」は、小脳における感受部位が重なる。私自身、自分の性欲や快楽への欲望を抑制する良心を安易に信じることなど到底できない。
そしてまた、古来、生まれてきた赤子が本当に自分の子供なのかという猜疑が、どれだけ多くの男たちを苦しめてきたことだろう。
私は、山口氏を信じるのではなく、証拠資料、証言を通じて、より真実に近い当日の出来事を知りたいと思った。
そしていま、重たい仕事がいくつか片付き、ようやく私は伊藤氏による訴状と山口氏からの反訴状をはじめ、裁判資料を読み始めたのだった。
結果はどうだったか──。
驚くべきものだった。
性交はあった――が、強姦はなかった
結論を先に言おう。
2人の間に性交があったことは両氏とも認めている。その成行きがどうだったかは密室のことで、判定のしようはない。
が、何がなかったかは断言できる。
伊藤詩織氏が主張する山口氏による午前5時過ぎからの強姦、数々の暴行は、明確な根拠を以てなかったと結論できる。
伊藤氏が主張するデートレイプドラッグ(以下、DRD)を山口氏が盛るということ、これも明確な根拠を以てなかったと結論できる。
なぜそう言えるのか。
早速、検証に入ろう。
2人はニューヨークで平成25年12月11日に出会った。邦人向けのバーで、ホステスとして山口氏に接客したのが伊藤氏だった。伊藤氏がジャーナリスト志望だったので、山口氏は翌日、TBSニューヨーク支局長を紹介し、局の見学の希望にも応じた。両者の交流はここで1度途絶える。
翌平成26年8月、伊藤氏がTBSのインターンを志望するメールを送り、山口氏が尽力して日本テレビに採用された。半年後の平成27年3月、東京に戻っていた伊藤氏は、再び山口氏に就活メールを出す。
ワシントンで仕事がないか、山口氏が東京に戻った時はぜひ会いたいとのメールだ。山口氏はちょうど東京に戻る予定があり、両者は恵比寿で晩飯を食べることになった。
平成27年4月3日のことである。
山口氏の実家は恵比寿にあり、この日、氏は父親の代から40年間行きつけのもつ焼き屋「とよかつ」で伊藤氏を待った。
一方、伊藤氏はこの日、ロイターのバイトで靖國神社の奉納相撲の取材をしており、ロイター社に機材を置きに戻ったと思われる18時41分に、山口氏宛に「今仕事終わりました!」とメールしている。
ところが、伊藤氏が先日の公判で証言したところによると、氏は「とよかつ」に直行せず、原宿の自宅に1度戻っている。砂埃を浴びたので着替えるためだったという。
25歳のフリーターが、大手マスコミのワシントン支局長に仕事の相談にゆくのに、相手を待たせてまで自宅に着替えに戻るのは自然な行動とは言えまい。
取材者として、現場仕事を終えて即刻駆け付けるほうが仕事のPRになるだろう。仮に伊藤氏が男性だったとしたら、着替えに戻るだろうか?