担任教師の不吉な予言
「君たちが大学を出るころは就職難になっているだろうから、今から覚悟しておいた方がいいよ」
担任教師からそう言葉をかけられたのは、筆者(梶原)が小学校六年生の頃、1992年だ。就職するまでは10年近くあり、当時は理由もよくわからなかったが、バブル崩壊の影響が続くと見ての忠告だったようだ。
実際、中学校に上がると同級生が何の前触れもなく引っ越し、「バブルが弾けて父親の仕事の首が回らなくなり、一家で夜逃げしたらしい」とまことしやかに噂された。
そして2003年、かつての担任の予言通り私たちの世代は就職難に見舞われた。いわゆる「就職氷河期世代」である。
……と、実体験を語ったが、同じ就職氷河期世代だと言ってもそれぞれの事情や状況は異なる。
氷河期世代の体験談はどうしても「より悲惨で、より過酷」なものが取り上げられやすい。またその反動で「世代のせいにするな」「それでも自分は努力し、成功した」と突っぱねる自己責任論も生じてくる。結果として、「実際のところ、氷河期世代が見舞われた状況はどのようなもので、どの程度、影響が残っているのか」が見えづらくなってしまう。
近藤絢子『就職氷河期世代――データで読み解く所得・家族形成・格差』(中公新書)は、こうした「語り」によって実態がむしろ見えづらくなっている氷河期世代の実態を、データをもとに明らかにしていく一冊だ。
著者自身も就職氷河期世代(1979年生まれ)。2000年代初頭はまだ「就職氷河期世代」が社会的背景、経済状況から就職できないというだけでなく、若者の自律的な選択としてのフリーター志望が増加したとの文脈で語られていた。
「自由を求めてフリーターになったのだから、その後苦労したとしても自己責任だ」との言説に〈強い反発〉を感じたことで、労働経済学の実証分析を専門とするようになったという。
「成長する日本」を知らない世代
就職氷河期世代の就業状況、収入は一体どのくらい「悲惨」なものなのか。そもそも氷河期世代とは主に1970年から1986年生まれ、つまり現在54歳から38歳くらいまでの年齢の人たちを指す。
本書では氷河期世代を前期(1993~98年卒)、後期(1999~2004年卒)と分けているが、実は同じ氷河期世代でも前期と後期では少し状況が違うのだという。
前期はそれまでのバブル期の売り手市場から一気に景気と雇用が冷え込んだ落差によるショックを受けており、一方で後期は雇用水準そのものがどん底だった世代。同じ「世代」としてくくられながらも、実際には直面した就職難の背景も、幼少期の体験からしても異なっている。
前期に当たる人たちは景気のいい時代を子供のころに経験しているが、後期の場合はもの心ついた時期にはすでに不景気に突入していたことになる。
もちろん、経験や認識には個人差があるが、確かに「ロスジェネ論壇」で思い浮かぶ雨宮処凛氏や赤木智弘氏は1975年生まれで、氷河期世代の中でも前期に当たる。
彼らは団塊ジュニア世代とも重なるが、本書は氷河期世代前期を「はしごを外された世代」、後期を「はしごなど最初からなかった世代」とする。
何とも残酷だが、「はしご外され世代」以上に「最初からなかった世代」は、「そもそも『成長する日本』を知らないため、自らの置かれた状況に対する異議申し立てをする発想がない(諦めている)」のかもしれない。
そして本書は、氷河期世代は就職難によって出だしのキャリア形成に失敗したことで、その後も不安定な雇用状況に置かれたうえ、年収も上がらないという、これまた残酷な状況に見舞われていることも指摘する。