トラブルの発端は稲田検事総長の居座り
何をゴチャゴチャとラチもない議論を続けているのか。検事長の定年延長をめぐる国会のテンヤワンヤだ。
通常、東京高検検事長は次期検事総長の座が約束されている。それが暗黙のルールだ。仄聞するところ、検事総長・稲田某が居坐りを決めて検事長・黒川某に席を譲らない、それがことの発端だ。
4月20日から京都コングレスが開催される。世界中から刑事司法関係者を集める会議で、日本では50年ぶりの開催。稲田は晴れの舞台でホストをつとめたい。それが居坐りの理由だ。
誰がホストをつとめようが、こちとらにはどうでもいい話だが、暗黙のルールを破る稲田をケシカランとする黒川支持派と、稲田に追随する一派との抗争となる。
折からの武漢ウイルスで京都会議は延期となり、稲田の望みは泡と消えたが、内部抗争自体は居坐り、それが国会に感染した。
本来なら居坐りを策した稲田がトラブルの発端だが、なんと野党は黒川に焦点を当て、「官邸に近い黒川の定年延長(から検事総長就任)は、森・加計・桜(を見る会)など安倍が自分にとって都合の悪いことにフタをするための人事ではないか」という奇妙なロジックを展開する。
仄聞するところ、当の安倍は黒川について、「何をもって官邸に近いというのか。黒川のことはほとんど知らない」と漏らしている。むしろ安倍が次期検事総長に望む意中の人物は他にいるそうな。
そもそも検察官の定年延長を含む今回の検察庁法改正案は、人事院の勧告を受けて検察官の定年を他の公務員の定年延長と合わせるのが目的で、高齢化社会で民間でも定年を延長している事態と何ら変わらない。
「検察官も同じ公務員。定年を延長して経験と知識をあと三年ほど活かしていただく。それが目的です」
安倍の言葉にウソは感じられない。ところが、野党は口を揃えて、「今回の改正案は検察官の人事を恣意的なものにする」と批判する。枝野幸男(立憲民主党代表)によれば、「検察官の中立性、三権分立を損なう」となり、同じく玉木雄一郎(国民民主党代表)も「検察の中立性、独立性を著しく害する」と言う。
検察にもシビリアン・コントロールは必要だ
検事総長や検事長の任命権は内閣にある。それは改正案でも変わらない。つまり検察の「中立性、独立性」は以前と同様、内閣の人事権下にある。なのに、なぜ定年延長(という人事案)が「中立性、独立性」をことさら損なうことになるのか。
定年延長案が「検察官の中立性や独立性を損なう」というなら、内閣が検事総長や検事長の任命権を持つことのほうが、よほど「中立性や独立性」を損なうのではないか。
どうやら「検察の人事を恣意的なものにする」とは、3年延長するかどうか、延長幅で検察官が左右される惧れを言うらしい。これほど検察官を軽蔑した物言いもあるまい。それでいて検察官に「中立性、独立性」を求めるのは矛盾していないか。
ひと口に検察の「中立性、独立性」というが、全くフリーの「中立や独立」はあり得ない。かつて造船疑獄のおり、犬養法相が指揮権を発動して自由党幹事長・佐藤栄作に対する逮捕状を却下した。政治が検察に介入した事態は、枝野幸男や玉木雄一郎が属した民主党・菅直人政権も犯している。
中国漁船衝突事件で菅直人政権は、沖縄那覇地検の検事正の判断だとして中国船長を処分保留とし、いち早く船長をチャーター便で中国に送還した。どう見ても中国に媚びたとしか思えない。菅直人の官房長官代理をつとめた枝野幸男に「検察の中立性、三権分立」を声高に言う資格はあるのか。
野党や学者に加えて、改正案の批判に検察OB14人が加わった。元検事総長・松尾邦弘(ロッキード事件を担当)は言う。
「検察の人事に政治権力の介入を正当化するものだ。検察官に一番大事なものは自主・独立だ!」
検察は人をふん縛る権力を持つ。国家権力が持つ懲罰権の執行者だ。その検察が自主・独立? 軍隊にシビリアン・コントロールが必要なら、検察にもそれが必要だ。
かつて検察が暴走した事件があった。政官財の数人が逮捕・拷問された帝人事件だ。事件は政官財挙げての腐敗とされ、2・26事件で蹶起する青年将校らの背中を押した。
3年後、裁判長・石田和外は「被告全員無罪、証拠不十分にあらず、犯罪の事実なきものなり」の判決を下し、検察の捜査を「猿猴、水中の月影を掬わんとするがごとし」と痛烈に酷評した。