軍隊から学び取った現場を重視する視点
本書は訳者である奥山が、『月刊Hanada』に2018年から掲載したエドワード・ルトワック氏に対して行った数回のインタビューをまとめたものである。世界的な戦略家として有名であり、すでに数冊の翻訳書があるため、日本でもルトワック氏の存在は知られたところかもしれないが、あえて彼の経歴について簡潔に触れておきたい。
エドワード・ルトワック(Edward N. Luttwak)は、1942年にルーマニアのトランシルバニア地方にあるアラドという街に住むユダヤ人一家の人間として生まれた。20世紀初めのアラドという街は、欧州の中でも宗教的に寛容であったようで、その街で実業家として、野菜や果物の流通などをてがけていた裕福な家庭でルトワックは育った。
ところがルーマニアで共産革命が発生すると、家族は突然、イタリア南部のパレルモに移住することになる。
ここでも再び実業家として成功した父親に連れられて、家族は戦後すぐの時代にヨーロッパ中を車で旅行したらしい。この時の経験については、本書にも韓国とオランダの対比の話で出てくる。
パレルモで少年期をすごした後にミラノの学校を退学になったルトワック少年は、イギリスの寄宿舎学校に進んで、そこから軍属してマレー半島に出征し、結果的にイギリス国籍を取得している。当時所属したのは斥候担当の部隊であり、そこでの経験が彼の現場を重視する視点に役立っていることは、本書の中でも見てとれる。
その後、ロンドン大学(LSE)で経済学の修士号を修めたあとに渡米し、ジョンズ・ホプキンス大学(SAIS)でローマ帝国の大戦略をテーマに選び、博士号論文を書いて修了している。
ロンドン大学修士号を取得したあとは、同国のバース大学で経済学を教えていたが、より実践的な国際政治に関わりたいとして石油コンサルタント会社の分析官となり、その後にフリーとなった時期にレバノンで取材を繰り返し、デビュー作である『ルトワックのクーデター入門』(芙蓉書房出版)を完成させている。
近代西洋の戦略論に革命を
その前後からイスラエル軍や米軍で、フリーの軍属アドバイザーとしての活動を積極的に行っており、大手シンクタンクである戦略国際問題研究所(CSIS)の上級顧問という肩書を使いながら、あえてアカデミックなポジションを求めずに、自由な立場から世界各地の大学や軍の士官学校、それに各国政府の首脳にアドバイスを行っている「戦略家」である。
そのキャリアを通じて主に軍事戦略や大戦略の分野に関心が高く、博士号論文を本としてまとめた『ローマ帝国の大戦略』(未訳)や、主著である『エドワード・ルトワックの戦略論』(毎日新聞出版:以下『戦略論』)、そして『ビザンツ帝国の大戦略』(未訳)のように、生涯追い続けている大きなテーマはむしろ「大戦略」や「戦略理論」そのものにある。
学界に登場した初期の頃は、冷戦構造下におけるミサイル問題や海軍戦略などについて議論を行っていたが、後に主著である『戦略論』につながるものとして、七十年代末に「オペレーショナル・アート」(作戦術)に関する議論を始めたことが挙げられる。
ルトワック自身の戦略論のエッセンスである「逆説的論理」(パラドキシカル・ロジック)については『戦争にチャンスを与えよ』などの拙稿で説明しているため、ここではあまり触れないが、この概念を提唱したおかげで、彼は近代西洋の戦略論に革命を起こした人物とみなされている。
世界各国の士官学校や大学の戦略学科などでは、すでに彼の何冊かの本が必読文献のリストの中に入って久しい。