空想的平和主義者は軍国主義専制覇権国家の味方
寺島実郎氏:「普通の国」という言葉が登場して、要するに「他の国だってやっているじゃないか」「日本だけなんで我慢しているんだ」みたいなね。
それが何を意味しているかというと、戦争ができる国であり、戦争に介入する国。戦後日本というのは、敗戦の屈辱の中から歯を食いしばって、武力をもって紛争解決の手段としないという憲法を掲げて国際社会の中を生きた。私も経済の現場に生きた人間だから、平和産業に立脚して我々飯食っていくんだということに誇りも持っていた。
そこで国際社会の中での日本の存在感ということを考える時に、今日本人に覚悟が問われている。普通の国の誘惑に駆られていくのか。
一つ大変僕にとって重要な数字があるが、国際連合の分担金という比率がある。日本は21世紀迎える頃、国連の21%の分担金を支えていた。で、GDPがグーっと相対的に沈下してきて、去年は8%までに落ちた。中国は1%から15%まで増やしてきて、国連は株式会社ではないから分担金が多いからと言って発言力が多いなんてもんじゃないけど、どんなに小さな国でも自己主張するためには、筋道が通った、要するに、主張というのが大事だ。
で、国際社会の中で日本が持っている筋道は何だと言ったらやっぱり非核平和だ。非核に徹し平和に徹することから国際社会の敬愛とか尊敬とか発言力を維持してきたし行かなければいけない。小さくても筋の通った国ということについて日本人が大きな問題意識を問いかけられている。
こういう時に世の中皆そうなっているんだからそれでいいんじゃないってことでは日本の将来がむしろ問題だ。新しい時代に向けて日本の国際社会での役割は何なんだということをよ~く真剣に自問自答しなければいけない。
本当に見事なまでに冗長過ぎる禅問答です(笑)。
「日本の国際社会の役割は非核平和だ」と言えば済むところを、これだけ長くコメントするのですから恐れ入ります。国連の分担金の話題が結論にどう関係しているのか、しびれるくらいに意味不明です。
国際社会の敬愛とか尊敬を得るために非核平和を目的化するのは、どう考えても本末転倒です。
目加田説子氏:戦争と平和の問題にどう向き合うのかは、その国の歴史に根差した問題だ。今、目の前の脅威、国際環境が変わって我々が晒されている脅威にばかり目が行きがちだが、もっと長いスパンで歴史を見た時に、もしかしたら今の脅威は一瞬の出来事かもしれないと思う。
そもそも45年に我々が長い戦争を経て至った考え方というのは、二度と同じ過ちを繰り返してはいけないということだったはずだ。ですから、目の前の脅威にばかり「どうせ言ったって駄目だ」「現実は厳しいんだ」という思考停止に陥ることなく、やはり原点に立ち返ることが大事だし、特に憲法9条だけでなく前文に書かれていることを噛みしめたい。
その一節に「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と書いてある。ですから我々だけでなく世界の市民が等しく平和的な生存権を認められるように掲げられているその理想を忘れてはいけないし、原点に立ち返って努力を積み重ねることが大切だ。
目の前にある中露北の脅威から目を背けて丸腰になることが大事だと説く目加田氏です(笑)。
空想的平和主義者はもはや軍国主義の専制覇権国家の味方であり、常軌を逸するほどにアクロバティックになっています。関口氏の番組降板は、空想的平和主義の終焉を意味しているのかもしれません。