ロシアの民間軍事会社「ワグネル」の指導者がプーチン政権に反旗を翻した「プリゴジンの乱」は24時間で収束したものの、前代未聞の反乱事件はプーチン体制の弱さを露呈し、政権を揺さぶった。来年3月のロシア大統領選を控えて内政が動揺する可能性があり、日本外交はプーチン体制の終焉やウクライナ戦争の終結も視野に、北方領土問題の解決に向けあらゆる選択肢を構想するべきだろう。
「外交はタイミングがすべて」
プーチン政権は従来、都市部のリベラル派を最大の脅威とみなして弾圧してきたが、今回の反乱は、より大きな脅威は右派愛国勢力が引き起こす非自由主義的な革命であることを示した。プリゴジン氏はSNS(交流サイト)で、「貧しい庶民の息子が戦場で次々に戦死する一方で、エリートの子弟は保養地で動画を撮影して人生を謳歌している」と糾弾したが、獄中のナワリヌイ氏らもかねてエリートの腐敗を批判しており、愛国勢力がリベラル派の主張に同調する動きがみられる。
プーチン体制下で進んだ天文学的な貧富の格差が、ウクライナ戦争の矛盾も絡んで、社会や政治の動揺を招く可能性がある。プーチン体制が終焉に向かうかどうかはともかく、日本外交はあらゆる可能性に対応する準備を進めるべきだろう。
「外交はタイミングがすべて」(ベーカー元米国務長官)といわれるが、日本の対露外交はこれまで好機を逸し、失敗を重ねてきた。
旧ソ連のゴルバチョフ大統領が初の訪日をしたのは政権最後の年で、北方領土問題で成果はなかった。橋本龍太郎首相は新生ロシアのエリツィン大統領の2期目に交渉を重ねたが、エリツィン氏の政権基盤は既に弱体化していた。
安倍晋三首相はプーチン大統領との間で平和条約締結に執念を燃やしたが、プーチン政権の体質は大国主義に転換しており、失敗に終わった。
好機に攻めない日本外務省
戦後、北方領土問題を解決する最大のチャンスは、ソ連崩壊直後の1992年で、同年の日本の経済規模はロシアの42倍に上った。ロシアは日本の援助を切望し、柔軟な問題解決案を提示したものの、日本側は無視した。
潮流を読めず、好機に果敢に攻められない日本外務省の稚拙な外交が、その後の領土問題の混迷を招いたといえよう。
将来、プーチン政権の終焉、ウクライナの戦後処理で新たな好機が訪れるかもしれない。今から対応を検討しなければ、また失敗を繰り返しかねない。
外務省は2030年に外交官を現在の20%増の8000人に拡大する方針と伝えられるが、その前に北方領土問題や北朝鮮による日本人拉致問題など国民が解決を切望する懸案を前進させなければ、国民の理解は得られないだろう。(2023.07.03国家基本問題研究所「今週の直言」より転載)