いま日本共産党が揺れている。震度は3、4くらいであろうか。余震が続いているようで目が離せない。共産党は2月6日、党首公選制を提唱した松竹伸幸氏を除名にした。元共産党政策委員会外交防衛部長で、ジャーナリストだ。この処分はやり過ぎではないかと、いつもは左寄りの論調が目立つ朝日新聞、毎日新聞も社説でかみついた。
なおしがみつく「民主集中制」
けんかを仕掛けたのは、党員やその周辺の3人組というか3冊の本である。松竹氏の『シン・日本共産党宣言』、鈴木元氏の『志位和夫委員長への手紙』、有田芳生氏らの『日本共産党100年 理論と体験からの分析』のいわば3段ロケットで、狙いは党首公選の実現である。
共産党内には不満のガスが充満しているようである。一昨年の総選挙、昨年の参院選挙と連敗。党員数、機関紙赤旗発行部数は1980年頃のピーク時に比べて半減。党員は高齢化。1960年安保の世代、70年代の学生闘争時代の〝猛者〟もくたびれたのだろう。社会主義の夢やロマンは誰が考えても幻になりつつある。なのに、いくら選挙に負け続けても、他党と違い党首は2000年から23年間も代わらない。誰も責任を取らないのか。そこで、せめて他党並みに党首公選を、となったのであろう。
これに共産党は昨年8月24日の赤旗で反論した。党首公選は派閥、分派のもとで、「民主集中制」に反する、「革命党」の鉄則に反する、と。反論の中で、われわれは「革命党」だと3度も言っていたのが奇異だった。やはり、共産党は「革命」の歌を忘れていないか。
1989年のベルリンの壁崩壊と1991年のソ連解体で、フランスやイタリアなど西欧の共産党は事実上ほとんど壊滅した。まず民主集中制を放棄し、ソ連から長期的に資金援助を受けてきたことも認めた。ところが、日本共産党は、民主集中制を捨てず、資金受領も否定したままだ。
民主集中制とは、日本共産党が経験の中でつくったルールだと、いま共産党はぬけぬけと言う。あきれたものだ。ロシア革命を経て、ソ連共産党は世界共産化を目指し、コミンテルン(国際共産党)を1919年につくる。翌年には、筋金入りの革命党を各国につくるために、加入のための21箇条の鉄の掟が決まる。12条は「民主主義的中央集権制」だ。革命党は上意下達の軍隊的規律を持たねばならないというもので、反すれば13条で「定期的な粛清」につながる。この鉄則の下に1922年、日本共産党が誕生する。
国民滅ぼす猛毒
いまこの規律は中国、ベトナム、ラオス、北朝鮮などの憲法に明記されているから要注意だ。党のルールがいつの間にか国家のルールになっているのである。恐ろしい話だ。国民総監視国家となっている中国などは、ルールが具体化された姿であろう。
民主集中制はいわば猛毒である。自由な社会の敵だ。日本共産党はこの猛毒をいまだ手放さない。もし日本に共産党主導の政権ができれば、猛毒が国民に及ぶのは必至だろう。国民が亡ぶか、共産党が自家中毒で亡ぶか、共産党内の騒動は見ものである。(2023.02.13国家基本問題研究所「今週の直言」より転載)