この言説は極めて無責任です。万が一、核抑止のない世界で専制覇権国家が核を使用した場合に、湯崎氏は地球上の全ての命に対して責任を負えるのかということです。
広島県・湯崎英彦知事(2025年VTR):核抑止がますます重要だと声高に叫ぶ人たちがいます。しかし、本当にそうなのでしょうか。抑止とは、あくまで頭の中で構成された概念、または心理、つまりフィクションであり、万有引力の法則のような普遍の物理的真理ではない。
極めて非科学的な主張です。人間の心の中に生じる心理現象はフィクションではありません。人間の判断を支配するのは様々な刺激に対する人間の脳の動きです。
核の製造を監視できない現実の世界において、「核を廃棄する」という人間の良心を根拠とする約束のみで核戦争を回避できると考えることの方が非現実的です。人類が核兵器を無力化する科学技術を普及しない限り、核廃絶は「あくまで頭の中で構成された概念」、つまり絵に描いた餅です。
広島県・湯崎英彦元知事(VTR):歴史的にみても、多くの自信過剰なリーダーが戦争を仕掛けて、非常に大きな被害を被ってしまうということはずっと起きている。むしろ非合理的なリーダーは結構出てくる。そういう中で、核抑止が常に機能するという考え自体が、現実的じゃない。(中略)
人間は非合理的な判断をするということは繰り返し起きている。そういう中で、核抑止の世界だけは人間が合理的に判断をするという世界がまだ残っていて、なんで“相手は攻撃しない”ということだけは信じられるんですか。
先述したように、相手が完全に非合理的な場合には、核抑止は無力となりますが、その場合には、同時にすべての外交・軍縮の手段も無力となります。少なくとも、核抑止は相手が合理的判断をしている場合には有効です。
完全に非合理的なリーダーが核攻撃を仕掛けてきた場合に相互確証破壊MADを止めるには死をもって悪に屈するという非合理的判断を取るしか方法はありませんが、このことは人間の命の尊厳を揺るがす非倫理的行為です。
なお、核抑止における戦略的な意思決定については、数学的な方法論である【ゲーム理論 game theory】が利用されます。
1950年代のランド研究所でトーマス・シェリングが議論した古典的なゲーム理論では、相手が完全な合理性をもつことを前提としましたが、現在の進化したゲーム理論では、人間の認識能力の限界に依存する限られた合理性である【限定合理性 bounded rationality】を前提とした核抑止のシミュレーションが普通に行われています。
相手が合理性を少しでも残している限り(基本的に人間は合理性を完全に失うことはない)、コミットメントの内容次第で核抑止を機能させることは可能なのです。


