出版界のレジェンド二人!
花田 続く出版不況などで、いま出版界に元気がない。雑誌界のリーダーとも言うべき月刊『文藝春秋』も、精彩がありません。そこで出版界のレジェンドとも言うべきお二人に、出版の面白さや体験したエピソードなどをお聞かせいただき、いまの出版界、雑誌界に活を入れていただきたいと思って、この対談を企画しました。
木滑 そんな話をするのはつらいな(笑)。
田中 照れくさいしね。「レジェンド」なんて言葉が最近、流行っているね。片仮名の言葉で覚えられない言葉が出てくる。
木滑 今年(2015年)は戦後70年でしょ。もう僕らの時代は一昔どころか、過去になっている。これまで何度も新しい時代が来ては消え、来ては消えていったんだから、いまさら僕らが喋ってもしょうがないですよ。
僕は「雑誌作りはスポーツだ」と言っていたけど、スポーツ選手と同じで編集者の寿命は短い。花田さんみたいに長い人は稀(笑)。
花田 対談の前に改めて年齢を調べたら、木滑さんが85歳、田中さんが87歳と(2015年当時)、お二人とも見た目が元気でお若いので、ちょっと驚きました。田中さんは最近、足が悪いそうですが、歩くと痛むんですか?
田中 痛くはない。杖があれば歩けるんだけど、足や腰が重いんだよね。
花田 いまは、高齢者向け住宅にお一人でお住まいですね。
田中 カミさんが亡くなってから一人暮らしを始めたんだけど、やっぱり料理ができないとダメだね。おかずが作れないから、デパ地下なんかで買ったりしていたんだけど……。
木滑 たまに銀座のデパ地下で偶然、お会いしましたよね(笑)。
田中 だんだん嫌になっちゃって、そういう高齢者向けのところに引っ越したんですよ。女性の方が多い。
花田 他の住民の方と交流はあるんですか?
田中 そういう社会的会話をする空間はあるんだけど、まだあまり行ってない。
木滑 行かないの? 田中さんは知らない女の人とチャラチャラするのがうまいんだから、独身女性と仲良くなればいいじゃない(笑)。
花田 女性と接したほうが楽しいでしょ。
田中 まぁ、そりゃそうだね(笑)。
木滑 このようにね、一定年齢を過ぎたらもう駄目なんだよ(笑)。老人漂流時代なんて言われているけど、我々はもう関節が痛いだの、あそこがダメだのと、そういう話しかできない。健康雑誌ならいいけど、こんな対談は無理(笑)。あとは自慢話になっちゃうからね。
朝日新聞が夏目漱石の小説をまた連載してて、改めて読むと「漱石は当時はかっこよかったんだな」と思うけど、でもいまの時代に漱石を連載してどうするんだろうとも思うんだよ。昔話ってそういうもんだよ。
花田 僕は数年前から、毎年一作家を集中的に読もうと思って、谷崎潤一郎や漱石を読んだんですが、改めて読むと面白いんですよ。だから朝日はうまいこと考えたなぁ、と感心しました。著作権も切れているから元手もかからないし(笑)。
木滑 もちろん読めば面白いけど、ずいぶん世の中が変わってきているでしょ。かつて産業革命が起きて、世の中がどんどん変わっていった。蒸気機関が発明されて産業効率が長足に進歩したんだけど、でもITというのは全地球的に同時に起こった革命だから、変わっていったことすら気付かないほど。知らない間に大人も子供も巻き込んで、変化している。
ここまで劇的な変化をすると、老人はついていけないね(笑)。で、そういう時代に昔の作品を読むというのは、何か意味があるのかなぁなんて思っちゃうんだよね。
田中健五氏(右) 1953年東大文学部卒業。文藝春秋新社(現・文藝春秋社)に入社。63年出版部部長、69年『諸君!』創刊編集長を経て、72年『文藝春秋』編集長。77年に『週刊文春』編集長となるが翌年辞任。88年に第7代社長に就任。95年会長、97年取締役最高顧問。99年退任。2022年5月7日没。
木滑良久氏(左) 1954年立教大学文学部史学科卒業。55年平凡出版(現・マガジンハウス)入社。65年から80年にかけて『週刊平凡』『平凡パンチ』『an・an』『POPEYE』『BRUTUS』の各編集長を歴任。80年取締役に就任。82年『Olive』編集長を兼任。88年には『Hanako』を創刊。同年代表取締役社長に就任。96年代表取締役会長に就任。98年取締役最高顧問。2023年7月13日没。
編集に大切なのはヤマ勘
花田 お二人にぜひお聞きしたいのは、雑誌が持つ面白さとか強みみたいなものがあるはずなのに、それがいまは出てきていない。だから、雑誌の魅力や出版、編集の面白さを若い編集者にも伝えていただきたいんです。
木滑 編集なんて教えてできるものでもないからねぇ。いま、大学で「文学部をなくす」という話が出てきているけど、文学や編集というものは勉強して論理を学べばできるようなものではなく、ヤマ勘でやるものなんだよね。自分で鍛えるしかない。だから、文学部ってなくてもいいのかな、とちょっと思っている。
花田 文学部といえば、筑波大学の古田博司先生に聞いた話では、語学の先生がたくさんいるんだけど受ける生徒が減ってしまって、教授が余っているそうです。第二外国語を取らなくなってしまった。でも筑波大学は国立で、教授たちは国家公務員だからやめさせることもできない。
田中 それはいまだけじゃないよ。柴田翔が「されどわれらが日々」で芥川賞を受賞したのは1964年で、彼は東大の独文の教授だったけど、その時でも生徒がいなくなっちゃったという話をしていた。まぁ、そのあと少しは戻ってきたみたいだけど、いまはもっと減っているだろうね。
木滑 僕は主に雑誌をやっていたけど、出版物を作るというのは音楽でいう即興演奏、インプロビゼーションなんだね。ジャズで今日、成田空港に着いたミュージシャンがステージにパッと入ってきて、それに渡辺貞夫がアルトサックスで応えて、それにまた乗っかって──と演奏が成立して一曲できちゃう。そういう感覚だね。
田中 楽譜がないんだね。
木滑 この間、友人が病気になったんで、ニューヨークに見舞に行ってきた。アメリカでは音楽に限らず、「インプロ」なんて略されて流行語になっている。いろんな業界でヤマ勘で仮説を出して、それにパッと乗っかってドッと前に行く。雑誌もそういう感覚で編集するのがいいんだ。ジャズ編集だな。花田さんは昔からやっているでしょ(笑)。すべての創造は本能から。
花田 いまの雑誌はどうですか? たとえば『文藝春秋』をお読みになって、どう感じていますか?
田中 大変だなとは思いますよ。これだけ多岐にわたるテーマがあると編集が大変で……。もっと単純化すればいいのになと思う。
木滑 雑誌の中身だけでなく、出版にはいろいろなものがついているでしょ。構造から何から、根本的に考え方を変えていかないといけないかなとは思う。