阿修羅の如く走った
安倍晋三元総理はなぜ死ななければならなかったのだろうか。なぜテロに斃れなければならなかったのか。なぜ日本の警察と公安の弛緩しきった警備体制の犠牲にならなければならなかったのか。そのうえ、旧統一教会問題で故なき批判に晒され、不当に名誉を傷つけられている。それはなぜなのか。
第一次政権に挑むとき、安倍総理は「美しい日本をつくる」「戦後レジームから脱却する」と公約。第二次政権時には「日本を取り戻す」と訴えた。
最初に政権をとりに行ったとき、安倍総理は「初当選して以来、私は、常に『闘う政治家』でありたいと願っている」(『美しい国へ』)と語り、自身を闘う政治家と位置づけた。
そのうえで、自身の立場を「保守主義」、さらにいえば「開かれた保守主義」だと定義した。
第二次政権発足時に安倍総理は『美しい国へ』に新たな章を加えて、『新しい国へ』として信条を世に問うた。そこで強調されたのが「日本を取り戻す」決意だった。「戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります」と宣言している。
では、美しい日本とは何か。取り戻す日本とは何か。安倍総理は現在の日本の仕組みはおよそ全て占領時代に作られており、それによって日本全体がマインドコントロールされていると語っている。だから大本の憲法改正が欠かせない、教育基本法も安全保障政策も社会保障政策も根本からつくり直さなければならないとして、阿修羅の如く走った。目指していた事案のいくつかは実現したが、やり残したこともある。
古事記に辿りついた
(撮影/今井一詞)