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「宇宙戦艦ヤマト」 朝日のフェイク報道 豊田有恒

■朝日新聞社による「3度の報道被害」

このところ、朝日新聞を揶揄する論調が各誌に見られるが、どうしてどうして、相手は従軍慰安婦なる疑似イベントを世界中にまき散らし、日本国の名誉を泥にまみれさせるという、国家をも凌ぐ偉業を成し遂げた、強大な権力をいまも保持している。

新聞は、社会の木鐸だという。ついでながら説明しておくが、古代中国で、大きな鐘のようなものを、木製の舌でならしながら法令を布告した故事によるものらしい。この木鐸の音色が、日本ではときどき狂うことがあるから困りものだ。

また、新聞は、無冠の帝王とも言われる。この帝王、ときおり冠を欲しがるから、これまた問題である。

社会の木鐸、無冠の帝王の代表として、自他ともに許す存在が朝日新聞である。私ごとだが、私も朝日の報道被害に、3度も遭っている。この新聞社が、取材をしない、あるいは取材した場合でも、報道しない権利を強硬に主張することが、最近、ようやく知られるようになってきた。朝日新聞の主張に沿った事案しか報道しないのだから、一種の婉曲な言論弾圧と言えるかもしれない。

■事前取材、いっさいなし

私の場合、最初は、いまから30年ほど昔に始まった。当時人気のかの筑紫哲也氏が名物編集長だった『朝日ジャーナル』誌上だった。原子力発電に関する特集に、なぜか私の名が載ったのである。

1986年5月16日号『朝日ジャーナル』に、「私たちを『未開人』と嘲った『識者』一覧──反原発運動からの告発」というタイトルで掲載されたもので、そのなかに私も含まれていた。

その発言はこういうものだった。

〈今まで一人も死者を出していない原子力発電所ほど安全なエネルギーはほかにはないと思う。TMI(スリーマイル島)事故でも、あれだけの人為的なミスが重なったにもかかわらず、なお一人の死者も出なかった。絶対に安全、ということはありえないけれども、これから我々が頼るエネルギー源としての資格があることを証明したのじゃないかと思う(『日本経済新聞』79・8・20 政府広報「座談会 代替エネルギーの担い手 原子力発電」)〉

事前の取材は、いっさいなかった。つまり原発推進派は、反対する人々を未開人と罵るような粗暴な人間ばかりだ、という印象を与えようとしたわけだ。もしかしたら、その10人の識者なる人々のなかに、そうした発言をした人間がいたのかもしれない。しかし私に限っては、そういうことを書いたり言ったりしたことは一度もない。

私の原発体験は、商業炉が一基も稼働していない頃、東海村の研究用原子炉JRR─3を、日本SF作家クラブで見学したことから始まった。本業のSFに登場する未来エネルギーとして興味をもったので、その後も日本中を回り、すべての原発サイトを訪れた。

また、関連施設もほとんど取材し、さらに建設予定地は、たとえば能登半島の珠洲市、四国の窪川町など、建設中止になった地点も含めて、すべて訪れている。

口はばったい表現になるが、70~80年代の原発のPA(パブリック・アクセプタンス=地域住民の容認のこと)研究においては、私の右に出る者はいなかったと断言できる。そんな酔狂なことをする人間は、他にいなかったろう。

私は常々、立地点の住民の反対は尊重すべきだ、と書いたり言ったりしてきた。また私は、原発に反対する自由のない国は原発を建設すべきではない、と主張してきた。私ごとが続くが、反対派の大立者、故・高木仁三郎は私の中学の同級生で、同じ大学の理科II類に合格したところまでは同じ道を辿った。

私とは意見が異なるが、万一、高木が反対意見を発表できないような事態になれば、断固として高木の言論の自由を守ると、これまた書いたり言ったりしてきている。

■筑紫哲也氏のお粗末な再反論

私は、雑誌『諸君!』のページを借りて、さっそく反論を書いた(「拝啓朝日ジャーナル殿」1986年7月号)。反論の骨子は、「私が反対派を未開人と罵った」とする根拠をあげてくれということに尽きる。そんな根拠など見つかるはずがない。つまり朝日としては、原発などに推進めいた妄言を吐くようなけしからん奴を、一網打尽に弾劾しようとしたわけだろう。

無冠の帝王である朝日に対する皮肉をこめて、十把一絡げに非国民が10人必要になり、私の名も員数合わせのため、それに加えられたに違いないと書いた。

たしかに筑紫氏は、反論してくれた(「拝復 豊田有恒殿──朝日ジャーナルからの返信」 『諸君!』1986年8月号)。私も、原子力の是非について討論したいと考えたから、もっと建設的な意見でも出るかと期待したのだが、筑紫氏の反論は〈非国民も国賊もお国の方針に刃向かうものに投げつけられてきたことばです〉〈「反日的」とは「反日本国」、つまりは政府の方針に逆らっているという意味にとれます〉など、いわば言葉尻を捉えたものに終始した。

もちろん、私の妄言の証拠など提出できるわけもない。争点のすり替えでしかなかった。

■証拠を示せなかった「朝日ジャーナル」

私は、原発取材に関しては慎重だった。電力会社のOKを取り付け、取材に訪れると、先方で一席もうけてくれることがある。拒否すれば取材に影響する。そこでありがたく御馳走になり、戻ってから饗応に見あった取材謝礼を送金した。あの福島第一では、取材謝礼を受け取ったのは初めてだと返事があり、近くの三春駒という木彫りの名産品をお礼として送ってきた。送り返そうと思ったが、知人に相談したところ、賄賂というより記念品の範疇だろうというので、受け取っておいた。

私は、無条件の推進派ではない。むしろ「原発やむをえない派」とでも言うべきだろう。エネルギー自給率4%、多く見積もる人でも6%という日本で、他に魔法のようなエネルギーでもあれば、もちろん原子力に頼るべきではないと考えている。

したがって、批判すべきことは遠慮なく批判してきた。たとえば、福島県の原子力センター。電力とは別に、自然放射線などを常時測定している。しかし、そこには原子力のPR館が併設してあった。

電力がPR館を設けるのは、いわば企業としては当然だろうが、本来、原発を監視し、取り締まるべき立場の県側が、原発のPRをやるのは筋違いだろう。3・11以降、福島県はしきりに東電の非を鳴らした。福島県民はたしかに被害者だが、いわば共犯である福島県が、東電の無限責任を主張するのは、理にかなわないだろう。

ともあれ、『朝日ジャーナル』とは反論の応酬になったが、かみあわないこと、夥しい。相手は、当方が「反対派を未開人と罵った」証拠などあげられないから、もっぱら議論をすり替えることしか考えない。私のほうも、二度『諸君!』の誌面を借りただけで終わりにした。当時は、雑誌、単行本など、あれこれ忙しかったから、筑紫氏に付き合っている暇がなかったからだ。

■まんがの神様まで利用

2度目は、私の師匠同様の手塚治虫さんにかかわる取材だった。朝日の女性記者から連絡を受けて、尊敬する手塚治虫さんの事績をあらためて顕彰して欲しいと考え、二つ返事で引き受けた。

1989年2月9日、手塚さんの訃報に接し、仕事が手に着かなくなった。もちろん、自分に対する言い訳でしかないが、手塚さんの冥福を祈って、四国八十八カ所の札所巡りに出かけたほどである。

私は、日本アニメのオリジナル脚本家の第一号である。SF小説の仕事が軌道に乗る前、創成期のアニメ業界に身をおいていた。オリジナル脚本とは何かというと、原作にない物語のシナリオである。

テレビは、毎週一本のストーリーを必要とする。原作だけではまかないきれない。そこで、『鉄腕アトム』を使ったオリジナルの脚本が必要となってくる。手塚さんは、私が書くシナリオをおおいに気に入ってくれたのだが、丸投げのように任せてくれるわけではない。

細部に至るまで、手塚治虫が書いたように仕上がっていないと、気が済まない。あれこれ注文がつくので、打ち合わせのため、三日にあげずに手塚さんと会っている毎日だった。いま思えば、横綱の胸を借りるような幸せな毎日だった。

手塚治虫の特集ということなので、私は、いかに偉大なクリエイターだったかを、あれこれエピソードを交えて話し続けたのだが、相手の朝日記者は、メモすら取ろうとしない。仕事の合間に、手塚治虫が、原子力についてどう語ったかというような質問が向けられた。

仕事の打ち合わせは、アイデア、ストーリーに関するものであり、たまには雑談もするが、原子力の話など出たことはない。そう答えると、朝日記者はがっかりしたようだった。手塚治虫が、原発反対という思想を早くから持っていたという構成にしたかったからなのだろう。

■手塚治虫が反原発の教祖に

そもそも、アトムという名からも判るように、アトムは原子力を動力としている。『鉄腕アトム』の原型となる『アトム大使』が発表されたのは、1951年である。

テレビ版アトムは1963年に放映開始、私が参加したのは、おおよそ原作を使い果たした翌年からである。もちろん、商業用原子炉も存在しないし、話題に上ることもない時代だった。もしかしたら、広い日本のどこかには、将来を見通して原子力反対という人がいたかもしれないが、科学の未来が信じられていたから、まず反対という人はほとんどいなかったろう。

70年の大阪万博では、手塚さんに誘われ、私も、さるパンメーカーのロボット館のアイデアコンセプトを担当した。この時だって、会場では関電の美浜原発から送電を受けていることを誇らしげにアナウンスしていた。そのときも、手塚さんの口から、原発反対に類する言葉は一度も出なかった。

原発反対に傾くのは、『ガラスの地球を救え』など、晩年になってからである。スリーマイル島、チェルノブイリなどの事故を経て、手塚さんは心を痛めていた。もともと自省的な人だから、アトムで原発推進に手を貸したような気分にいたったのである。

晩年、手塚さんは、アニメの商業化でも自戒の弁を残している。日本アニメの商標化(マーチャンダイズ)権(二次著作権)、つまりキャラクター使用は、本格的には『鉄腕アトム』に始まる。そのことを反省しておられたのだが、これは当たらない。アトムという優れた作品があり、そこに商品化の引き合いが殺到したということである。最近のアニメのように、はじめから玩具を売ることが目的で金儲けに走ったわけではないからだ。

結局、手塚さんは反原発の教祖のような扱いになってしまった。長年の付き合いで、人となりも判っているつもりなのだが、手塚治虫という人は、大上段に振りかぶって教えを説くというような人ではない。中編アニメ『ある街角の物語』では、穏やかな抒情的な映像ながら、心から反戦平和を訴えている。

■朝日が報じた『宇宙戦艦ヤマト』の嘘

そして3度目は『宇宙戦艦ヤマト』である。松本零士の原作があって始まった企画ではない。プロデューサーの西崎義展さんから頼まれ、私のSF設定に、松本さんが手を加えて実現したのである。戦艦大和を使おうとしたのは松本さんだし、人物設定も松本さんだから、おおよそ松本零士原作というのが正しい。私は、テレビ版、劇場版など、初期10作品のSF設定すべてを担当した。

まず、私のSF設定をたたき台として企画が進行した。当時、大阪万博のあと、「人類の進歩と調和」というスローガンが、折からの公害問題の浮上とともに批判されるようになり、原子力が俄かに悪役に仕立てられ、ノストラダムスに代表される終末論が流行り始めた。

また、安易に科学の未来を売りまくった未来学者やSF作家は、けしからん式の批判が浴びせられるようになった。マスコミの手のひら返したような対応に憤っていたのは、私だけではない。

究極の公害、終末という世界を、マスコミの要望どおり描いてやろうではないかという気分にさせられ、小松左京は『日本沈没』を書いた。ヤマトの設定も、こうした時代相を反映したものである。

異星人による侵略で、放射能に汚染された地球、そして放射能除去装置を取りに行く。これらSF設定の骨子は、私の最初の設定案に基づいている。私は、朝日記者の取材に答えて、こうした経緯を喋った。

ところが、2015年2月25日から夕刊で始まった「ヤマトをたどって」というシリーズでいざ記事になってみると、私が語った部分はまったく反映されていない。それどころか、朝日が創った経緯が、まことしやかに書かれている。

『宇宙戦艦ヤマト』は、第二次世界大戦末期の日本とのダブルイメージのように解釈されている。そこから反戦平和という方向へ、強引に持っていこうという趣向なのである。

企画の段階でも、制作の段階でも、そんな意図は皆無だった。ヤマトは、日本最初の本格的な宇宙SFアニメである。もともとの設定は、究極の公害という発想から、エイリアンによる侵略をエンターテイメントに仕上げたつもりである。ガミラス帝国の重囲をくぐってイスカンダル星へ行くわけだから、戦闘場面は欠かせない。多くの戦記、戦史などを参考にしている。たとえば、次元潜航艇という兵器が登場するが、Uボートから外挿(extrapolate)したものである。

さっそく抗議すると、こういう返事が戻ってきた。

「先生の意見は採用しませんでしたから、インタビュー料は発生しません」

私の意見ではない。松本零士に訊いてもらえば判るが、私のSF設定からスタートした企画である。しかし、松本零士にも取材していないらしいのだ。しかも言うに事欠いて、インタビュー料は発生しないとは何事か。ミジンコではあるまいし、「発生しない」とは無礼極まりない。

私が激怒しているとみて、金欲しさと誤解したのだろう、1万円、送ってきた。きょう日、電話インタビューでも、もっとましな報酬を払う。朝日帝王は、人気があるとみてとるや、『宇宙戦艦ヤマト』のようなアニメすら、朝日カラーのイデオロギー傘下に置こうと思い立ったのだろう。

■朝日新聞は嘘をつく

アニメは、手塚治虫という大天才が、好きという一心から創りだしたジャンルで、アニメ好きな人々が育て上げたサブカルチャーである。巨大な権力を持つ大新聞が統一見解のような解釈を強要するものではない。ファンそれぞれが、自分の解釈で愉しめばよい。

朝日の正体を改めて、思い知らされた。あの新聞、いや新聞かどうかも疑わしいが、あの帝王は、取材しない、あるいは取材したふりをする。しかし、実際に報道するのは、あの新聞が作りあげたフィクションなのである。こちらもSF作家だから、宇宙人が攻めてきたり、タイムマシンで過去へ行ったり、をつくのが商売である。その代わり、本当をつく時は、きちんと調べたり取材したりする。

朝日は、明日から社名を変えたほうがいいだろう。「朝日フィクション社」なら、誰も文句は言わない。

(『月刊Hanada2018年9月号』より転載)

 

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著者略歴

  1. 豊田有恒

    作家・島根県立大学名誉教授 1938年、群馬県生まれ。若くしてSF小説界にデビュー。歴史小説や社会評論など幅広い分野で執筆活動を続ける一方、古代日本史を東アジア史の流れのなかに位置づける運動を展開する。数多くの小説作品の他、ノンフィクション作品に『韓国の挑戦』『いいかげんにしろ韓国』(ノンブック)、祥伝社新書に『日本の原発技術が世界を変える』『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』などがある。

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